障がいを持つ子どもの教育は「人にまかせる」が基本
子どもが小学校の支援級に通っている頃、僕は管理職を降りてパート勤務になる道を選択しました。
子どもに関わる時間をしっかり確保して、自身が育児に専念したかったからです。
作業療法士として長年働いた経験もあるので、自分がマンツーマンで関われば、子どもの成長は良い方向に進むのだという確信を持っていました。
しかし、その思惑は散々たる失敗に終わりました。
何かを教えようとするたびに言い争い、喧嘩になってしまうのです。
親子であるが故に、ちょっとしたことでもお互いに感情的になってしまい、最終的に子どもは勉強するために机に座るだけでもイライラするようになりました。
僕は頭を抱えました。
そんなとき、役職を降りる際に仕事ができる後輩から言われた「ある一言」を思い出し、方向性を変えることを思いつきました。
この決断が功を奏し、パートで働いていた2年間で、子どもの自立度は飛躍的に向上しました。
仕事ができる後輩が声をかけてくれた一言とは「クロカワさんの子どもに最高の教育をしてくれる場所はないのですか?」というものでした。
それまでの僕は、自分の子供なのだから自身が責任を持って教育をすべきだと考えていました。
しかし、この考えは結果的に間違っていました。
むしろ、なるべく親が関わらないように育てる方がいいということに気がついたのです。
それ以降、僕は直接子どもに勉強を教えることを辞めました。
そして、子どもの教育は原則アウトソーシング(外部委託)で行い、そのマネジメントだけを行うようになったのです。
具体的には、勉強は小学校と個別学習の塾で行い、宿題やソーシャルスキルトレーニングは放課後児童デイで、発達のための認知機能訓練は外来リハビリで行うようにしました。
発達障害の状況やアプローチ方法、生活場面で伸び悩んでいることは、外来リハビリの言語聴覚士の先生になんでも相談しました。
そこでもらったアドバイスを、学校や塾の先生、放課後児童デイのスタッフに伝え、成長に必要な情報をタイムリーに共有できるよう、橋渡しをしました。
また、これらの人たちには、療育の方向性をおおまかに伝えた上で、「この部分は他のサービスにお願いしているから、ここの部分だけはあなたにお願いしたい」ということを具体的に伝えていきました。
全体の方向性を共有した上で、各自の役割分担を意識してもらうためです。
療育の進捗状況は、皆で共有できるよう、外来リハビリで定期で受ける発達検査の結果内容を書面にし、それぞれの人たちに定期的に説明に回っていました。
僕は、アウトソーシングしたチームのパイプ役をしながら、子どもには最低限のセルフケア(食事や排泄、整容などの身辺動作)の練習を、ご褒美で釣りながら行うのみでした。
自分で直接教育することを諦めた結果、直接的な関わりは少なくても療育は進みます。
その後、僕が常勤復帰してからも、学校や塾、放課後デイでの学習量を落とさず継続することができました。
最終的に、子ども自身が希望していた高等支援学校に、入学は難しいと言われていたにも関わらず、進学することに至ったのです。
なるべく親が関わらないように育てる方がいいと思ったのは大きな理由があります。
それは、子育ての目標は「親が亡くなったあとでも、なんとか生き延びる能力を身につける」ということだと気がついたことです。
「親がいない状況でどれだけ能力を発揮できるようになるか」が重要であり、その目標を達成するための最短の方法は「成長の過程から、親がいない場所での学習や経験を積み重ねる」ことだと悟ったのです。
親のいない場所での失敗や成功の体験を積み重ねることで、1人で生きる想定に近い形で必要なことを学び、親が亡くなった後でも変わらず発揮できる力を身につけてほしい、と心から願ったのです。
実際、いま子どもが働いているA型就労支援事業所では、労働の場に対する親の口出しはほぼ不可能で、多くのことを本人との直接のやりとりで済ませています。
もはや親の出る幕はないのです。
「教育のアウトソーシング」は高等支援学校を卒業するまでの期間しか利用できません。
高等支援学校を卒業すると同時に、放課後児童デイなどの療育サービスは利用できなくなり、子どもはほとんどの時間を自宅で過ごすようになるからです。
そのため、高等支援学校を卒業した後、療育は家庭内だけで行うようになります。
子どもの一生の中で、家以外の場所で学ぶ機会は、学校を卒業するまでの期間しかないのです。
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