障がい児の親子の『距離感と依存』の関係
子どもに障がいがあると判明したとき僕は、
少しでも長く生きて、自分の命がなくなる直前まで子どもを守りたい。
そのためにできることはなんでもしたい。
そう思いました。
子どもには自分が必要で、自分がいないと生きていけないのではないか。
そのために、しっかりしないといけない、と。
そんな気持ちを察してか、幼少期の子どもは完全に「お父さん子」でした。
授乳が必要な時期は、妻と就寝前の授乳を済ませたあと這って僕の布団に入り、寝るのは父親と、という状況。
(妻はとても辛かったそうです)。
子どもの気持ちをいちはやく察するよう常に気を配っていたので安心だったのか、どこに行くのも父親と一緒がいいと言い出す始末。
いつしか子どもの行動の中に「父親がいないとダメ」という気持ちが見え隠れするようになってきました。
いま振り返ると、この頃の僕たち親子は『共依存』という関係性に片足を突っ込んでいる状態だったのだとと思います。
『共依存』とは、お互いに依存関係にある状況を言います。
共依存は、心理学では「好ましくない、極力避けた方がいい関係性」として扱われています。
親子に置き換えてみると、
親:「子どもに必要とされていることや親の役割を担っていることに、自身の存在価値を強く感じている」
子:「親が自分の存在を認めてくれることに存在価値を感じていて、親の承認がないと不安になる」
という関係性にあたります。
まだ幼少の頃は、生物として互いに必要な時期なので気にすることはないのですが、子どもが大きくなってもこの状況から脱することができていなければ、将来を危ぶまれることになります。
共依存が良くない理由、それはお互いの自立を妨げるからです。
自立への行動を起こすためには「自分の力で生きていく意欲」が必要です。
共依存に陥ると、親は子どものために生き、子どもは生きるために親に依存し続けるという負のループに入り込んでしまいます。
子どもの「親へ依存することで安心感を得ている」状況がいつまでも続くようであれば、自立(または自律)への意欲は育ちにくくなってしまいます。
また親の「子どもに必要とされることに、自身の存在価値を強く感じている」という状況は「親という役割に依存している」状態だと考えられます。
親という役割が外れた「素のままの自分」としてのアイデンティティは曖昧になり、個人としての生活の充実が失われてしまうリスクがあるのです。
子どもの成長過程で共依存に陥りかけている、と気づいた僕は悩みました。
そんなときにたまたま読んだ村上龍の「最後の家族」という作品に救われたのです。
この小説は、閉じこもりの息子を抱えて崩壊しそうな家族が、家族としての凝集性が弱くなることによって関係が安定し、再生していくという物語です。
特筆すべきは、一つの出来事に対して家族それぞれの視点で心の動きが表現されているところで、家族関係に悩まれている方には勧めたい一冊です。
この物語に考えさせられたことは、「家族の関係性は適切な距離がなければ、簡単に依存関係に陥ってしまう」ということです。
その後、子どもへの接し方は自然に変わっていきました。
接し方で変わったのは「子どもとの距離感」です。
親子の良好な関係性の継続を「お互いが精神的に自立している」うえで成り立つものとして捉え、子どもを「これから自立していく人間」と認識した距離感に変化していったのです。
端的にいうと、子どもと少し距離を置くようになったのです。
もちろん、障害を抱える子供の生活には現実的に自立することが難しい事柄があります。
しかし、「自分でできないこと」と「1人の人間として精神的に自立できないこと」に強い関係性はないと割り切りるようにしました。
子どものことを意思を持った個としての存在であることを尊重し、同時に親ではない個としての自分の意思も尊重しなければならないと考えたのです。
とはいえ、親から急に距離を置かれると、子どもも不安になります。
子どもには
「大きくなったら色々なものを利用しながら1人で生きていくことを目指さないといけない」
ということを声かけしながら、自身も色々な場面で、まずは口や手を出さずに見守ってみるようにしました。
基本的には離れたところから見ているだけだけど、ピンチになったら必ず助けに行くよ、というスタンスです。
一方、個人としても、なるべく自分のやりたいことを我慢しないように心がけ、失敗談も含めて「こんなことにチャレンジしてみた」ということを子どもに伝えるようにしました。
障がいと向き合いながら自立することを考えなければならない子どもには「自立に対する不安」が生じるかもしれません。
自立している大人が自己責任でさまざまなことへのチャレンジを楽しんでいる様を伝えることで「自立は楽しい」ということを伝えたかった。
「自立は楽しい」という感覚を共有することが「自立に対する不安」を取り除くために、大切だと感じたのです。
こうして、僕ら親子の距離は少しずつ離れていきました。
もちろん、その時々で近づいたり離れたりという変化は繰り返し起こっています。
ただ、お互いになるべく自立した存在で家族としての関係性を継続する、というスタンスは今日まで継続しているところです。
そんな子どもも今や社会人。
僕ら親子は1日の大半を別々の場所でそれぞれの時間を過ごす生活を送っていて、これからはさらに共に過ごす時間は減っていくのではないかと思います。
共依存にならないために親子の距離感をコントロールすることは、人間関係の経験を豊富に持ち、関係性として優位な親にしかできません。
障がいを持つ子どもとの関係性に悩んだり、自分のアイデンティティに違和感を覚えることがあるのなら「子どもとの距離感が今のままで良いのか」ということについて考えてみることには、意味があるのだと思います。