障がいがある子どもが求めている親子関係のあり方
親子関係は難しい。
そういう価値観を持っているのは、僕が子どもの頃に両親から言われたことに傷付き、自信を無くしてしまっていたからです。
親は悪意を持って話していたわけではありません。
家族は生まれながらに強い絆で結ばれているから気を使わなくてもいい、という親の一方的な価値観がそうさせていたのです。
このことから、もし自分が親になったなら同じ体験を自分の子どもには絶対にさせまいと考えていました。
そして、親になり最初に授かった子どもには知的障がいがありました。
言語発達はゆっくりで、言葉がなかなか出ず、理解もできません。
何がしたいのか読み取ることはできず、言うことを聞いてももらえないという育児の状況に、僕は言葉を荒げてしまうことが度々ありました。
子どもに感情的に当たってしまうこと。
それは自分の親にされたことを子どもにもしてしまうことに他なりません。
決してしないと誓った行為をしてしまう罪悪感の中、僕は自分が子どもの頃に親に求めていたことは何だったのだろうと考えました。
そうして辿り着ついた答えが『心理的安全性』だったのです。
心理的安全性とは「自分の考えや気持ちを安心して表現できる状態」のことです。
相手に考えや気持ちを伝えるとき、否定や拒絶を受けてしまうと自分の思いを表出することに対して不安を感じるようになってしまいます。
心理的安全性が確保されていれば、自分の内面をありのまま表現しても、自分の存在を否定されることはありません。
親子関係に置き換えてみると、子どもが言ったことに対して親は感情的になったり即座に否定しないことになります。
もし、親が子どもの言動を即座に否定したり感情的に反応することが続けば、子どもは強く反発するか心を閉ざしてしまうようになるでしょう。
そうしないと、自分の心を守ることができないからです。
僕は子どもの頃、自分の本心を親から繰り返し否定されて傷つき、家の中での心理的安全性を完全に失っていました。
そのことを久しぶりに思い出し、僕は子どもが表出することは否定せずに一旦は受け止める努力をすることにしました。
子どもがイライラして泣き叫ぶときは、その行動を辞めさせるのではなく、大丈夫だよと声をかけながら抱きしめて受け止めるようにします。
そうすると子どもも安心するのか、おとなしくなり少しずつ気分のムラが少なくなっていきました。
成長の段階で言葉が少しずつ増えて自分の欲求を表現できるようになると、今度は身勝手とも思える言動を繰り返すようになりました。
知的な遅れから状況の理解ができないので、自分の欲求を抑えることができなかったのです。
その言動に対してもなるべく即座に否定することは避けて、一旦聞いた上でお互いが納得できそうな妥協点を探すようにしました。
ときには子どもの言動を受け止めきれず、衝動的に反応しそうになることもあります。
そんなときは、一旦子どもと距離を取るのです。
少しの時間であっても離れて過ごすことで互いに少し冷静になり、再び話をすることができるようになることが多かったのでした。
心理的安全性は親の立場から考えたとき、親が子どもに素直な気持ちを伝えられないということもまたストレスになります。
ときには自分の感情を
「君のことは大切に思っているけど、〇〇されるのは悲しい」
と静かに伝えるようにしました。
「心理的安全性」に配慮した親子の関係性を育んできた結果、成人した子どもとの人間関係はまずまず良好といった感じです。
今でも2人で夕飯を食べながら1日の出来事をお互いに報告しあいますし、機会があれば2人旅に出かけることもあります。
成人しても、子どもは相変わらず自分のやりたいことを素直に口にします。
しかし、口にした内容がもし受け入れられなかったとしても、そのことをごく自然に受け入れることができるようになりました。
障がいがある子どもの生活は、どうしても親に依存せざる得ない事柄がたくさんあります。
その中で、健康的な親子関係を維持することは、容易くありません。
もし心理的安全性を確保した関係性を築くことができれば、親子で過ごす長い時間は穏やかなものになるのではないかと思います。
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