障がい児の成長に合わせて親の葛藤は変わる
知的障がいがある子どもが成人を迎えるまで、親の育児に対する気持ちは刻々と変化していきます。
僕は子どもが社会人になるまで、育児に対するさまざまな葛藤を抱えてきました。
振り返ってみると、それは子どもの障がいを受容していく過程であったのではないかと思います。
このnoteを読まれている方の中には、障がいを持つ子どもの育児の悩みや葛藤を抱えている方もおられるかと思います。
そこで、子どもが成人に至るまでの親の葛藤はどのように変化してきたのか、自身の経験を例に示していきたいと思います。
未就学期
子どもに障がいがあることが判明した時期です。
最初に子どもに障がいがあることに対する大きなショックがありました。
次に「子どもの幸せのために身を尽くしていきたい」という気持ちと「障がいがある子どもを抱えた自分の人生はどのようになってしまうのだろうか」という相反した気持ちを行き来する日が続きます。
保育園では自分の子どもと健常な子どもとの違いばかりに目が行き、無意識に比較することがやめられず、自己嫌悪に陥ることも少なくありませんでした。
子どもと自分の両方が楽しく共有できる活動や時間を探して過ごす、という行為が心の不安に対して効果があったように思います。
小学校期
子どもが小学校の支援級に在籍していた時期です。
この時期、子どもに行動を変えてほしいという欲求がとても強くなりました。
集団内で状況に合った行動が取らないことや、勉強についていけないことが、目立つようになったからです。
また夫婦間での育児に対する価値観の違いがはっきりし、話が拗れることも多くなりました。
この時期を乗り越えるために、子どもが育つ仕組みや環境を整えることを重点的に行った時期です。
仕組みや環境を整えた結果少しづつ成長が感じられるようになり、子どもに合った療育の方向性がわかってきたことが、育児に対する夫婦間の価値観の隔たりを埋めることにつながったように思います。
また僕自身、我が子を健常な子どもと比較することはなくなりましたが、支援級の他の子どもと比較して見てしまうことに自己嫌悪する日もありました。
もちろん、我が子と他の子どもと比べることには何のメリットもないのですが、そのことを認識していてもふと何かの拍子に考えてしまうのです。
そのために、自分の子どもの成長だけに目を向けるという努力が必要でした。
中学校期
中学校の支援級に在籍していた時期です。
中学校に入った直後に高等支援学校への進学方法についての説明がありました。
そのことを通じて子どもの中には「障がいがある自分は他の子とは違う」という認識が芽生えてきたようでした。
思春期とも重なり、子どもの情緒の不安定な言動に対し、ついつい感情的になってしまうこともありました。
同時に、子どもが障がいを受容していく過程を、忍耐を持って見届ける必要性も感じていた時期です。
進学する高等支援学校を選ぶために子どもと見学に行く頃には、今後の進路やその先にある就職についての不安や心配が頭の中に広がっていきました。
この頃は子どもとのコミュニケーションを特に大切にしていたように思います。
言葉が拙い中でも自分の気持ちを吐露させるために声をかけたたり、障がいがある生活の中にも選びとれる楽しみがあること伝え、障がいがあることでできないことや失ってしまうことだけに目が向かないように心がけるといったことです。
小学校の時期からいろいろなサービスを利用していたため、親以外の大人や友人ともコミュニケーションをとる関係性が築けていたことが、子どもだけでなく親自身の心の負担も軽くしていたように思います。
高等支援学校期
無事に進学してホッとしたのも束の間。
2年次には就職の業種ごとにクラス分けをされ、実際の職場にインターン実習が始まりました。
実際の企業の方と親も含めた面接で、子どもに対して何度もダメ出しを受けました。
この頃は僕自身も「もし就職が決まらなかったら…」という不安がマックスになった覚えがあります。
この頃になると「将来の仕事」と向き合わざるえなくなります。
障がい者雇用の実態に子どもはアレルギー反応を示し、時に気持ちが大きく揺らぐことがありました。
厳しい現実の中でも、子どもに対して少しでも前向きに将来のことを考えてほしいと思い、子どもが就職できそうな会社を調べ上げ、学校の先生の協力のもと10に近い会社の見学に子どもと共に行きました。
この行動は僕ら親子が「障がい者の就職」という得体が知れないものに対する嫌悪や不安を払拭することにつながりました。
結果的には、見学した会社の中から子ども自身が選んだ会社とフィッティングがうまくいき、就職することになったのです。
社会人期(現在)
子どもの就職が決まってしばらく経つと、子どもにはもう大きな転機はなく、今の生活がこのままずっと続いていくのだと呆然とした気持ちになりました。
親としてできることはほとんどなくなってしまったという虚しさもあります。
高等支援学校を卒業すると発達障害がある子どもは精神障害や身体障害のある方と同様に扱われるようになり、制度上は「障害者」でひとくくりにされるようになります。
また、発達障害に対する福祉サービスのサポートもなくなったことに対して、少し喪失感を感じています。
育児が一区切りついたのだから次は自分のしたかったことを始めよう、と考えていたのですが、親の気持ちというのはそんなに簡単に切り替えがきくものではありませんでした。
それでも今は、一応の社会人になった子どもをみて誇らしげな気持ちを持っています。
障がいがある子どもの育児には葛藤が付きものです。
しかし、その葛藤は今だけのもので、やがては移り変わり、消え去ってしまいます。
子どもの成長の過程で生じたその葛藤さえも、いつか大切にしたい思い出になります。
そういう視点を持つことが、育児の様々な問題を乗り越えるためのエネルギーになるのです。
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