裁判官弾劾罷免の是非
裁判官弾劾罷免の是非
一 はじめに
2021年6月16日、ツイッターなどSNS(交流サイト)に裁判当事者を傷つける不適切な投稿をしたとして、当事者らが罷免を求めていた仙台高裁の岡口基一裁判官について、国会の裁判官訴追委員会が裁判官弾劾裁判所に訴追状を提出し、受理された。公開の法廷で弾劾裁判が開かれ、罷免の可否を判断する。弾劾裁判所は衆参両院の議員7人ずつ計14人の「裁判員」で構成し、3分の2以上の賛成があれば罷免される。罷免判決に対する不服申し立てはできず、法曹資格を失う。
裁判官は、公正な裁判を行い国民の権利を守るという重要な役割を担っているため、国会や内閣から圧力を受けたり、特定の政治的・社会的な勢力から影響を受けたりしないように、憲法で「裁判官の独立」が強く保障されている(憲法78条)
その例外として、弾劾裁判がある。憲法で身分が強く保障されている裁判官といえど、国民の信頼を裏切るようなことをした場合には、辞めさせることができる。
国会と内閣と裁判所という三権分立のもとで、国民の代表である国会議員の中から選ばれた裁判員によって組織される特別の裁判所が判断することになる。
弾劾裁判で裁判官を辞めさせられると、法曹資格が奪われるため弁護士になることもできず、退職金も出ないため、いかなる場合に罷免事由に該当するのかが問題となる。
二 裁判官弾劾罷免の事例
今回の訴追は、2012年に盗撮事件で罰金刑を受けた大阪地裁の判事補以来9人目となる。過去7人が弾劾裁判で罷免判決を受けおり、弾劾裁判所のウェブサイトには、それらの事件の内容や判断の理由が掲載されている。それによると、証拠隠滅・偽証、収賄、児童買春、ストーカー行為、盗撮など、犯罪にあたる行為やそれに類似する行為が問題にされている。
すなわち、これまでの罷免事由については、裁判官としての地位を利用した不正や、刑事事件で有罪になるなどしたケースに限られている。これは、憲法が三権分立制度をとっていることと関係しているといえよう。
つまり、裁判官が、権力や世論にもおもねらずに国民の権利や自由を守ることができるようにするためには、国会が弾劾裁判というかたちで司法に介入することは、できるだけ控えるべきであるという権抑性の理念が働いてきたといえる。
もし、国会が弾劾裁判によって簡単に裁判官を辞めさせられるとなれば、裁判官は常に権力者の顔色をうかがいながら仕事をするようになる。それは、裁判を受ける側にいる国民にとっても不利益なことである。
今回、訴追された裁判官の事例は、上記のような「犯罪に当たる行為やそれに類似する行為」ではなく、裁判所法49条にいう裁判官の「品位を辱める行状」に当たるとして訴追されており、はたして弾劾裁判における罷免事由に該当するのかが問題となる。
三 今回訴追された裁判官の事案の概要
2017年、裁判所のウェブサイトに性犯罪に関する判決が掲載された際に、今回訴追された岡口裁判官がそのURLを引用してツイートしたところ、その判決書は、性犯罪に関する判決はネットで公開しないという裁判所のルールに違反して掲載されたものであった。東京高裁の長官は、被害者の遺族から抗議を受け、岡口裁判官に厳重注意をした。
さらに、2018年、公園に犬を捨てて3カ月経ってから、犬を拾って育てていた飼い主に元の飼い主が犬を返せという裁判を起こし、東京高等裁判所が元の飼い主の主張を認める判決を出した。このとき岡口裁判官は、判決を取り上げた新聞のウェブ記事を引用し,被告となった方の主張を要約する趣旨で「え?あなた?この犬を捨てたんでしょ?」などとツイートした。
このツイートについて元の飼い主が東京高裁に抗議し、岡口裁判官は、分限裁判で戒告処分を受けた(平成30年10月17日最高裁大法廷決定)。
そして、遺族と元の飼い主は、国会の裁判官訴追委員会に岡口裁判官を辞めさせるよう請求した。
これに対し、裁判官訴追委員会に対する訴追請求をしていることなどに言及する投稿を岡口裁判官がした際、岡口裁判官を非難するよう東京高裁事務局及び毎日新聞に遺族が洗脳されている旨の表現を用いた。このことから、2020年1月27日、仙台高裁は、岡口裁判官がFacebookへの投稿によって遺族を侮辱したとして、裁判官分限法に基づき、最高裁に岡口の懲戒を申し立てる事態となった。
2020年8月26日、分限裁判において最高裁大法廷は、14人全員一致の結論としてて、岡口を戒告とする決定をした(令和2年8月26日最高裁大法廷決定)。
2021年6月、訴追委員会が岡口裁判官を弾劾裁判にかけることを決定した。
四 今回訴追された裁判官の懲戒に関する最高裁決定に対する評価
それぞれの最高裁決定において問題とされたのは、インターネットを利用して投稿による情報発信等を行うことができる情報ネットワーク上で投稿した裁判官の行為が、裁判所法49条にいう「品位を辱める行状」に当たるのかどうかについてである。
最高裁大法廷決定は、「同条にいう「品位を辱める行状」とは,職務上の行為であると,純然たる私的行為であるとを問わず,およそ裁判官に対する国民の信頼を損ね,又は裁判の公正を疑わせるような言動をいうものと解するのが相当である。」と解して、問題となった岡口裁判官の行為は「品位を辱める行状」に該当すると判示した。
ここで強調されているのは、「裁判官は、その職責上、品位を保持し、裁判については公正中立の立場で臨むことなどによって、国民の信頼を得ることが何よりも求められている」点である。裁判の公正、中立は、裁判ないし裁判所に対する国民の信頼の基礎をなすものと、最高裁判所は強く考えているように思える。
最高裁判所が、国民の信頼を強く求めている点には同意しつつも、果たして岡口裁判官の行為が国民の信頼を傷つけるものであるといえるのかどうかについては疑問の余地がある。
というのも、第一に、岡口裁判官は、勤務時間以外にツイートをしている。第二に、担当している裁判事例について述べているわけではない。第三に当該ツイートが名誉棄損等の不法行為に該当するようなものではない。以上からすると、純然たる私的行為のなかでツイートを行っており、当該私的行為について、職務上の行為と同程度の品位を必要とすることがはたして国民の信頼を確保することになるのか、疑問に思うからである。そもそも国民は、裁判官にプライベートな領域まで高い品位を求めているわけではなく、裁判官の職務の遂行に対して公正・中立さを求めているのである。最高裁判所の考えは、裁判に対する国民の信頼を求めるあまり、裁判官に対して公的領域のみならず、私的領域にも踏み込んで高い品性を求めており、ある意味、公私を混同しているのではないかと考える。
以上より、私は、最高裁が、品位を辱める行状を、純然たる私的行為を問わずと解釈した点は誤りと考える。
五 裁判官弾劾罷免の是非
最高裁判所の岡口裁判官に対する懲戒処分は誤りとする私の立場からは、当然弾劾裁判によって岡口裁判官を罷免することは不当と解する。
そもそも岡口裁判官の行為は、不法行為でも何でもない私的領域に関する表現行為である。問題となったのは「裁判官であること」にほかならない。私人であれば問題にならないことも裁判官であれば問題となるのであれば、職業によって私的領域での可能な行為が区別されることにならないだろうか。私的な領域が職業によって区別されるというのは、個人の尊厳を尊重する憲法13条の趣旨に反すると思われる。
また、弾劾裁判はこれまで裁判官の犯罪行為に限定されてきており、裁判官の私的領域に関する品位を問題に広げることは、権力の牽制を趣旨とする三権分立の観点からも明らかに逸脱するものと考える。
よって、私は、当該裁判官を弾劾罷免すべきではないと考える。 (3193文字)
〈参考文献〉
裁判官弾劾裁判所 https://www.dangai.go.jp/index.html 2022年1月10日閲覧
The Ashahishinbun Globe+ https://globe.asahi.com/article/14505174 2022年1月10日閲覧
平成30年10月17日最高裁大法廷決定 2022年1月14日閲覧
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/055/088055_hanrei.pdf
令和2年8月26日最高裁大法廷決定 2022年1月14日閲覧
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/658/089658_hanrei.pdf
仙台弁護士会 https://senben.org/archives/9403 2022年1月10日閲覧