「人質の法廷」里見蘭 著 読書感想文

ときにフィクションはノンフィクションよりも現実の問題点を浮き彫りにすることを示唆する作品だ。

国連からたびたび人権侵害を指摘されながら、21世紀の今日でも被告人の起訴後勾留を延々と続け、身体を拘束して自白を強要し黙秘権を事実上侵害している現実。

前近代的な糾問裁判観を引きずりながら、弾劾裁判観の法律の下で旧来の運用を維持し続けている。

 大河原化工機事件やプレサンス事件、村木事件のような事後明らかな無罪事件なら、そもそも無実の人をずっと拘束していたのだから、起訴後勾留の問題性はより明確になり検察の落ち度が糾弾されることもたやすいだろう。
 

 しかし、一般人の感覚なら極悪非道の犯罪人を起訴前はおろか起訴後も野に放つことには大きな抵抗があり、人権無視とはいえ起訴後勾留が世界にもまれなる日本の安全を担保していると感じるのかもしれない。

 自分が身に覚えのないことで罪に問われることなどないと考えていれば・・・。

 しかし、黙秘権や防御権の保障は、犯罪を犯していようとなかろうと一律に認められる権利だ。犯罪を犯していることが明らかであれば、真実発見のために黙秘権や防御権が認められないわけではない。頭では理解しているこのことが、いざ酷薄非道な事件がおこると冷静に判断できない。しかも無罪推定の原則も逮捕の段階でふっとんでしまう。起訴されればなおさらだ。

 本書にはモデルがある。作者はあとがきで次のように書いている。

本作の構想は、当時北千住パブリック法律事務所に在籍していた、須﨑友里弁護士(現在は高野隆法律事務所所属)への取材から生まれた。大学在学中はバンド活動に勤しんだという彼女は、卒業後、フリーターの身から一念発起して刑事弁護士を志し、ロースクールへ進んだ。私は彼女から刑事弁護への揺るぎない信念を感じ、その頼もしさに刮目させられた。法廷で須﨑弁護士が弁護人として依頼者のために闘う姿を何度も傍聴し、その感懐はいっそう強まった。単行本化するに際し、須﨑先生には監修をお引き受けいただくことができた。ここに記して感謝を申し上げる。なお、本作はあくまでフィクションであり、文責は作者にある。

里見 蘭. 人質の法廷 (p.878). 株式会社小学館. Kindle 版

. 実在する人物の弁護活動に感銘を受け小説家のインスピレーションをかきたてたのだろうと想像する。

 物語のあらすじは、刑事弁護を志す新人弁護士のもとに当番弁護の要請が入るところからはじまる。荒川河川敷で起こった女子中学生連続死体遺棄事件の容疑者には被害者の中学校に侵入し、逮捕された過去があった。しかし、容疑者は断じて犯行には関与していないと訴える。直感的に冤罪を感じた弁護士は、依頼人の無実を晴らすため奔走する。
 その過程で、同僚弁護士の無理解、警察や検察官、裁判官の高い壁が立ちはだかり、それを一つ一つ乗り越えて、無罪判決を勝ち取ることができるかという展開だ。

 本書の白眉は細部の細かさが物語のリアルさを実現しているところだ。個性あふれる登場人物の心理描写、とくに新人弁護士からみたら先輩弁護士や警察官、検察官や裁判官はどのように見えるのかがリアルに表現されていた。経験や権威を振りかざす検察官や裁判官は新人弁護士にとって異次元の生物以外の何物でもないだろう。いまでこそ老練、老獪な法律家たちにも、右も左もわからない新人だった日があったはずなのに。

 また捜査の過程や鑑定、裁判所での公判過程も情景が浮かぶようだった。長い物語でありながら迫真性をもたせ読み飽きさせないのは作者の筆力だろう。

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