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なぜ人は落胆するのか?

急に哲学的な問いになっちゃいましたが、多くの落胆は「期待」から来るものだと思います。

人に対する期待、自分に対する期待

期待と結果の差分が落胆を生み出すのだと思います。だとしたら落胆を無くす一番の解決策は、期待値をしっかりとコントロールする事だと考えます。

いくつか例を考えてみます。

会社での落胆1

上司が部下に対して、期待します。
部下は上司の期待を背負って頑張ります。
結果、部下は上司の期待する成果をあげられませんでした。
上司は落胆し怒ります。

この落胆は、上司が期待値を高く設定しすぎているのが原因です。
仕事の難易度 ÷ 部下の力量 ≧ 期待値
になっていないので、期待値を下げる必要があります。ただ、仕事の難易度と部下の力量を把握していないと、なんとなく期待している状態になります。その場合は期待値のコントロールはできないので、「期待してるよ」と口で言い、期待をしないという選択肢が最適解かもしれません。

会社での落胆2

組織に属していると、「会社は何もしてくれない」などと会社の不満を口にして落ち込んでいる人を見かける事があります。

色々なケースがあると思いますが、大きな組織になればなるほど、短期間でのドラスティックな変化はそこまで期待できません。恐らく、上記の落胆は会社に属する前の期待値が高すぎた事が原因です。

思い描いていた偶像と違った時、人は落胆します。しっかりとその会社を見極めた上で入社するか、入社してしまったら会社に対する期待を捨てて頑張るか即転職するのが良いかもしれません。

試験での落胆

試験で思った結果を出せなかったら、落胆します。これは自分に対しての期待値が高すぎる事が原因な場合が多いです。

例えば大学入試の場合は模擬試験などで志望大学に合格する確率が事前に数値で判定されます。努力の積み重ねなので、この判定が結果に直結する事が多いです。試験直前の判定が不合格ラインなのに、試験を受けて必要以上に落胆する人は、自分に対する期待値が高すぎます。人は自分は特別だと思って、ミラクルが起きるかもしれないという幻想を見ますが、現実は大概厳しいものです。

信じるとは

先日、女優の芦田愛菜ちゃん(さん?)が語っていた信じるという事が話題となっていましたが、これも期待値の話なのかなと捉えました。

以下抜粋

『その人のことを信じようと思います』っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、『それがどういう意味なんだろう』って考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と感じて
だからこそ人は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか言うけれど、別にそれは、『その人が裏切った』とかいうわけではなくて、『その人の見えなかった部分が見えただけ』であって、その見えなかった部分が見えたときに『それもその人なんだ』と受け止められる、『揺るがない自分がいる』というのが『信じられることなのかな』って思ったんですけど

(参照:https://news.livedoor.com/article/detail/18879904/)

人は自分だったり他人だったりに期待してしまいますが、期待する対象を本当に分かってないと、その期待は重荷になったり、自分の落胆へと繋がります。

まとめ

世の中、思った通りにいかないことはたくさんあります。受験でも、子育てでも、結婚生活でも、政治でも、会社でも。。。思った通りにいかなくても前を向いて進む為には、しっかりと周りの人や物を把握して、自分の期待値を正常な位置に(或いはより下に)置いておき、必要以上に落胆しないのが重要なんじゃないかなと思います。

期待値低い方が、上振れした時の喜びの幅も大きくなりますしね。

追記

落胆しない方が良いなと書いてた時思ってたんですが、落ち込んだりする事によって得られる気付きとかもあるので、人に迷惑をかけない範囲で落ち込むのも良いのかなと思います。もちろん、人に対する過度な期待で他者に迷惑をかけないというのが前提ではありますが。

このポストをベースにポッドキャストで少し話しました↓


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