モミジの49日を迎えて〜モミジモナムール4〜
【モミジがいなくなって7週間】
こんにちは。
不定期アップですみません。
体調や心の調子などと相談しながら
毎日を送っていく中で、
かけそうかな、と思う日に随時あげさせていただいております。
モミジとのお別れの前後、
周りの友人、知人たちもまた、
大事な存在とのお別れを立て続けに受けて、
心がぎゅーっとなるような時間をたくさん過ごしてきました。
でも、先日書いた
イオビエのウェブセミナーの時のお話で、
ペットロス、鬱などと
言葉でその気持ちに札をつけてしまうことで
私って鬱なんだ、ペットロスなんだ、
などと自分をカテゴライズせず、
今の悲しみは、
その子とあなたの唯一のものなのだから、
思いっきり悲しめば良いのだよ、
という優しくて深いメッセージをいただきました。
泣きたい時に泣くことって、人目を気にしないってこと。
自分の心に正直になることでもある。
そこが、メトロの中であっても、
ご飯を食べている小さなテーブルの上であっても。
【死んだ後の世界を想像する】
そして、死んでいなくなった人や動物たちは
どこへいくのだろう。
猫沢エミさんは、その死生観について、
その人が一番しっくりくることを信じたら良いよ。
納骨をする、しないについてもそう。
亡くなった後に魂がどんな風に過ごしているかについても
同じだとおっしゃっていました。
そして、ファンタジーは、嘘、や
単なる夢物語、ということにとどまらず、
ファンタジーというのは、私たち、残されたものが
亡くなった魂が幸せに過ごしていてほしい、という
切なる願いであると共に、思い出すたびにその魂は
喜びに満ち溢れて、そばで聞いているのだはないか、とも
おっしゃっていました。
(注 私の解釈入ってます)
私の今までのファンタジーに対する価値観や
考え方が、これによってガラリと
音を立てて変わったことは確かです。
私は今まで、ファンタジーに対して、
嘘(虚構)の世界、という見方が
10のうち半分以上だったかと思います。
だって見えない世界なんだもの、
それをあれやこれや論じても、誰も正解を知らないのだから、と。
かなり切り捨てて考えてきた部分があります。
でも、今回それが、ガラガラと崩れ去りました。
生まれ変わりや輪廻転生について、
なんとなく、あるだろう、と思ってきたにもかかわらず、
もっと深い部分にある混沌とした部分は
あってないようなもの、という括りでした。
今回、49日過ごしてみての体感としては、
本当に、49日が過ぎるまでは、
料理ができず、(体も心も動かないし、食べたいものがない)
亡くなった(最後に過ごした)場所(バスルーム)に行くことが怖くて、
寝られなくて、(ずっとカウチに丸まって寝てました)
人と会いたくなくて、(出かけられない)
全ての気力が失せてしまいました。
物事を、モミジといた時間、と、
いなくなった後、と分けた世界観でしか
見ることができなくなっていました。
そして、時に記憶が飛んでしまったり、
感情が乱れてパニック状態になったり、
普段の自分ではない、ちょっと通常運転ではない状態が
続いていたので、人ともなかなか約束をすることが
できなくなっていたのですが・・・。
ちょうど49日に当たる日曜日に、
予期していなかった友人と会う約束がリスケになり、
月曜日だったのが繰り上がっての日曜日の午後、
パリの中心地に出ることになりました。
仕事や病院通い以外でパリに行くのは、何ヶ月ぶりだろう?
というほどに久しぶりでして、
ほんの一時間ほどの再会でしたが、私にとっては
なんだか特別な時間に思えました。
この友人にも感謝しながら、暖かいショコラショー
(ホットチョコレート)を飲みつつ、
お互い起こった出来事や
命の話を交わしました。
49日経ってみて、
やっと・・・最後モミを抱きしめた
お風呂場に行けるようになり、
49日目の夜に、
ベッドで寝てみようと思ってベッドに横になりました。
(その後また、カウチに戻りつつあるのですが)
モミの形に、胸の奥が切り取られた
その穴は塞がっていませんが、
そのモミ型の穴を大事に抱きしめつつ、私は
愛したまま、その喪失感をも抱きしめて
生きて行くことができる・・・と思えれば
それで上出来だ、と受け止めています。
まだまだ、いないということに慣れない日常の中で、
力が抜けて情けない状態でしたが、
節分を過ぎた頃から、珍しくもパリの空が
ピーカンの青空に恵まれる日が続きます。
49日の日曜日もとっても晴れて快晴でした。
それはまるで、モミからのお手紙を受け取ったみたいに思えて、
この日出かけた時間は、
いつもよりも胸の痛みがちょっとだけ少なくて、
まるでエアーモミと一緒にいたようでした。
私は、この子の愛をずっと胸に抱いて歩いて行こう。
ずっと忘れないし、ずっと一緒なんだ。
そしてそう思うことはファンタジーなのではなくて、
私が信じたことが、そうなんだ。
そう思っていいんだ。
そう思って、出てきた涙を止めずに
流すままにして。
悲しいのは、あの子をそれだけ愛した印だから。
【タイトルの由来】
モミジは、たくさんの呼び名があって、
私は、
モミ、の他に
モミ太、モミニャン、
モミヌー(モミ➕ミヌー→フランス語で猫ちゃん、みたいな感じ)
モンクー(私の心臓→大事な人、よく子どもなどに親が呼んだりする)
モミムン、
モムニン(もはや語呂のみ、変形すぎてモしかあってない…)
などなど、その時に合わせて♡🐱を込めて呼んでいました。
このタイトルの、
モミジモナムール
モナムールは
Mon(私の) Amour(愛)
私の可愛い、愛する者。
パズルのピースのように、
ピタッとはまる私の宝物。
そういう気持ちを込めて、
このシリーズ名としています。