『MIZZ鍼灸治療院物語』の著者 MIZZ先生こと”みずかみよしのり”が渋谷道玄坂百軒店伝説のロック喫茶『ブラックホーク』を語り尽くします
◆第2シリーズ
ザ・インタビュー:MIZZマスターの『ブラックホーク』懐古談
(聞き手:編集人ひめちゃん)
第14話 山下達郎さん登場
《MIZZマスター》さて,そうこうしていると,ロックタイム常連組の中にも兵(つわもの)が何人か登場してくることになるのです。
《ひめちゃん》レコード集めには,今をときめくスーパースター山下達郎さんもひと役買ったそうですけど,達郎さんもその兵のお一人だったわけですね。
《MIZZマスター》そうなんです。彼の初登場はかなり衝撃的で,今でも記憶に新しいです。ヤマハの手提げ袋でレコードを次々に持ち込んでは「自分のコレクションなんですが,こんなレコードもかけてもらえませんか?!」てな具合です。当時まだ明治学院大学に入学するかどうかの頃でしょうかね。
彼の他にも,時流に便乗してロック路線でのひと儲けを企むレコード会社の営業マンなども,サンプル版をドッサリ置いていってくれたりしましたけど…
《ひめちゃん》達郎さんの話は『ブラックホーク』伝説の一つとして語り継がれてきたように聞いてましたが,それにしてもビッグな話題ではありますね。
《MIZZマスター》そうですね。この頃になると『ブラックホーク』も,世間的には完全に”ロック喫茶”と見られるようになっていました。百軒店界隈でも『ブラックホーク』の階上にあった『SAV』とお向いの『SWING』の2軒だけは変わらずジャズを流し続けていましたが,アットホームな雰囲気でコアなファンが多かった裏手の『ありんこ』はいつの間にか閉店していました。
《ひめちゃん》渋谷道玄坂百軒店が,ジャズの街からロックの街へと大きく様変わりしたと言う感じでしょうか?
《MIZZマスター》いや,そんな風にダイナミックな変化と言う感覚ではないですね。道玄坂はもちろん,公園通りなんかも,さあてこれから西武と東急の開発合戦が始まりそうなって言ったら多少大仰ですけど,まだまだ混沌としていた時代でしたから。フレアジーンズにロンドンブーツ履いて,ギターを抱えて,ロン毛なびかせて颯爽と闊歩するといったようなミュージシャン風情なんてそうそう目にすることはなかったですね。街がそうなっていくのは,やっぱり1971年にライブハウス『BYG』が百軒店に出来てからのことじゃないでしょうか。
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