『MIZZ鍼灸治療院物語』の著者 MIZZ先生こと”みずかみよしのり”が渋谷道玄坂百軒店伝説のロック喫茶『ブラックホーク』を語り尽くします
◆第2シリーズ
ザ・インタビュー:MIZZマスターの『ブラックホーク』懐古談
(聞き手:編集人ひめちゃん)
第16話 大瀧詠一さんの話
「渋谷109」のオープンは1979年ですから,既に彼の伝説的バンド“はっぴいえんど”は解散して数年が経っており,それぞれ個別に活動していた頃であります。
とかくバンドと言うものは,メンバー間の音楽性や方向性の違いといった理由で解散に至ってしまうケースも少なくありません。メンバー間の人間関係も解散を機に微妙なものになりがちですが,“はっぴいえんど”に関して言うと,松本隆さんを中心に,解散後も今日までなんだかんだの交流が続いているようです。
バンドのキーパーソンであった大滝詠一さんは,残念なことに2013年に亡くなりましたが,氏自身が立ち上げたナイアガラ・レーベルから1981年にリリースされたスタジオ・アルバム「A LONG VACATION」は,シティーポップ屈指の名盤として専門家筋からも高く評価されています。
この名作の再ブレイクをきっかけに,“オオタキエイイチ”の名が再び音楽メディアを賑わしていますが,それもきっと“はっぴいえんど”ブランドの支えあってのことなのかもしれませんね。
《MIZZマスター》『ブラックホーク』のお客さんたちの中には,達郎さんのように“あっ!あの人!”と即反応できる名を成した方や当時のロックフェスのステージでもちょくちょく見かける顔ぶれに始まり,“どうしよう,何やろうかなぁ”とまだまだ行き先を決められずプロになり切れないレベルのミュージシャンの方々に至るまで,とにかくいろんな方が来店されてました。
《ひめちゃん》一線級のミュージシャンの来店となると,ウェイトレスさんたちも,たいそう盛り上がっていたんじゃないでしょうか?
《MIZZマスター》そうですね。バックヤードでは,”今日は〇〇さんが来てた”とか,“△△さんからデートのお誘いがあった”とか,仕事帰りに下北沢や吉祥寺の名(迷?)店まで同伴させられた,なんていう勢い余ったアングラ情報まで飛び交っていたようです。
《ひめちゃん》何かの雑誌の対談記事で話題になっていたように聞いてますが,大滝詠一さんと山下達郎さんさんが『ブラックホーク』でミーティングして,達郎さんが大瀧さんの門下生になったなんて話は本当なんですかね?
《MIZZマスター》当時の山下達郎さんは作曲を独学で学んでいた頃で,「第1シリーズ:渋谷道玄坂伝説のロック喫茶『ブラックホーク』昔噺」でも取り上げさせてもらった「はちみつパイ」の本多信介さんとは,共に『ブラックホーク』に週3日4日も来店しては半日ぐらい居座っていたほどでしたから,所謂「サテン仲間」として自然とお友達関係になっていったようです。
《ひめちゃん》なるほど?!
《MIZZマスター》それで,「はちみつぱい」のメンバーともつながりのあった大滝さんが,達郎さんが自主制作したデモテープ?を聴かされ,“このハーモニーいいね,これ誰?”となって,福生の大滝さんの自宅まで達郎さんが出向き,すっかり意気投合したというのが事の真相のようですね。
《ひめちゃん》大滝さんは『ブラックホーク』には来ていたんですか?
《MIZZマスター》いいえ,多分大滝さんは『ブラックホーク』には来ていないんじゃないかな?!
ただ大瀧さんとは,道玄坂ですれ違ったことは何度もありますね。ヤマハ渋谷店とか彼の「風都市」という事務所のあったBYGに行ってたんじゃないでしょうか。いつも背筋をピンと伸ばし,どこか遠くをゆったり眺めるような眼差しで歩いている姿が印象的でした。足元はいつも,当時ミュージシャンの間でブームになっていたFLYのLong Type Boots,カッコよかったですねえ。
《ひめちゃん》「はっぴいえんど」の他のメンバーはどうだったんですか?
《MIZZマスター》細野晴臣さんは時々見かける程度でしたけど,松本隆さんはかなりの頻度で来店してましたよ。