![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/157021729/rectangle_large_type_2_26ee4c272378679cb5324326df60e41d.jpeg?width=1200)
これまでで、一番素晴らしいと思ったビジョンとは?
私は、これまで、さまざまなビジョンを見たり聞いたり、
作成から実現に至るプロセスをサポートしたりしてきました。
1万件は超えると思います。
よく、質問されることがあります。それは、
「これまでで、いちばん素晴らしいと思ったビジョンは何ですか?」
という質問。
たくさんビジョンに触れてきたなら、
当然、答えがあるだろうと思われるようです。
しかし、この質問に答えるのは少々難しいです。
なぜかと言いますと、
たしかに、素晴らしいビジョンはいくつもあります。
あるんですが、しかし、
「このビジョンは素晴らしい」というビジョンそのものより、
あるビジョンがあって、そのビジョン実現を目指した人が、
その後、どんどん新しい世界を切り拓いていき、
たくさんの人の共感、協力、応援を得て、
そのビジョンを掲げる以前からはとても信じられないようなすごいことを
成し遂げてしまった
という一連のストーリーのインパクトの方がはるかに大きいからです。
結果として、それは素晴らしいビジョンだったと言えると思います。
しかし、はじめに、そのビジョンを聞いた時、
それは、あまり良い言葉ではなかったということはよくあります。
もちろん、良い表現でなくとも、とてつもない可能性を感じること
もあります。
ただ、多くの人に支持されるような言葉になっているわけではなく、
また、具体的に、どんなことか詳しく説明してもらっても、
当初は、あまり魅力的だな、と心に響いてこない、ということもよくあります。
じつは、ここに、ビジョンの大変重要な本質があると、私は思っています。
ビジョンは、動態的なプロセスの中で考えるべし、ということです。
最初に、ビジョンが魅力的な言葉になっていなくとも、
本当にこんなことができるのだろうか? と自信がなかったとしても、
ビジョンを、人に語ったり、少し行動して可能性を確かめたり、
ビジョンを実現するための支援者を探したりすることによって、
ビジョンは、表現も磨かれますし、リアルなものになっていきます。
ビジョンとは、
現状からは飛躍しているが、実現を信じられる未来像
この定義のとおりになっていくわけです。
ビジョンは、
ビジョンがあって、何かをスタートできるもの、でもあります。
しかし、不確実な状態をのこしたまま、ビジョン実現を目指して、
行動を開始し、人と出会い、様々な情報やアイディアを得たり、
小さな成果を生みだしたりすることで、はじめて良いビジョンになり、
人を巻き込めるような影響力を持っていくという面もあります。
人間には、だれにでも、いくつになっても、
自分自身の創造力を生かして、
すごいことを実現する力があります。
40代、50代、60代の人でも、
働きはじめてから、それまで、
一度も自分のやりたいことを、やったことも考えたこともなかった人でも、
自分発のビジョンを考えて、多くの人をハッピーにする仕事を生みだした人がたくさんいます。
彼らの多くは、最初は、自分のやりたいことを考えてもいいのか
とすら思っていました。
しかし、行動してみると、(ほとんどその日から)
どんどん世界は変わっていったと言います。
自分のビジョンに共感してくれる人が、自分の周囲にこれほどいたのか
と気づき、そこから、自分のビジョンを肯定でき、もっとしっかり考えて
前に進んでいいのだと、思えるようになったと。
そして、アイディアや情報を提供してくれる、相手のビジョンと響きあえる
という喜び、面白さを知ったと。
ビジョン自体も、そういう人とのやりとりなかで修正されて良いのです。
こうして、ビジョンからはじまる、ということも重要なのに、
結果的に、ビジョンが実現に近づくにつれ、
素晴らしいビジョンが語られるようになるという逆説もおきる
それがビジョンなのです。
人は、ひとつ、ビジョンが実現できると、
他の人のビジョンを支援できる人になってしまいます。
自分の実体験が自然にそうさせる、ということもあるでしょう。
しかし、それ以上に、
人が話すビジョンを面白いと思い、実現を互いに支援し合う、というのは、
太古の昔から、人間が本来持っている特質なのだと、私は考えています。
ところで、
森に生きる動物たちは、きびしい生存競争の中で、何を考えているのでしょうか?
まだまだ、謎ですね。
アサギマダラは海を越えて数千キロを旅します。
羽を広げてもせいぜい10センチの小さな蝶が、
春になると、九州、沖縄本島、八重山諸島、台湾から、本州の高原に飛んできて、
秋になると、また海を越えて飛んでいきます。
現状からは飛躍しているが、実現を信じることのできる未来像
それがアサギマダラの中にあってはじめて可能なこと
そういう仮説は、けっしてロマンチック過ぎないのではないかと
ひそかに私は思っているのですが・・・
皆さまは、どう思われますか?