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アルス・エクリチュール  流れの中で ソレからのエクソダス等

■ドゥルーズ後、アート

・デュシャン後のアートは、アートがアートそれ自体に言及する目的を有するようになったと言える(少なくとも純朴な美はこの時点で道具のひとつになった)

・そして、ドゥルーズ後のアートは、もはや、素朴にアートがアートを行為することさえゆるさないのではないだろうか

・ドゥルーズ後に問われるのは、アートそれそのものを道具にしながら、なんらかの、人間の〈在り方〉を示すものでなければならないのだろう

・次の、または、新しい、もしくは、特異な、人間の在り方について示すというオーダーがあると思われるのである

・思弁的実在論については、まだ、後のことだろうし、評価は不明だが、人類的な政治について、ということになるだろう(早計に過ぎる)


■遊牧民の原定住性

・遊牧民は、というか、こそ、もっとも動かない

・場所からの立ち退きを拒否した結果、彼らは遊牧民に至ったのであるし、境界線を決める政治において一歩も譲らなかったからこそ、境界線それそのものになったのである

・遊牧民は遊牧すらしないのである(定住民からの決めつけのようなアドレスこそ遊牧民という言葉に違いない)

・これが、当時のあの神の民(ユダヤ民族)の秘密であったであろうし、いまだにわれわれの秘密である

・出エジプト記とは、現在形である


■因果律の見立て性

・因果律は見立てである

・因果律を超越した律(レンマ等)を見出した場合に、因果律は"見立て"のものに変わる

・因果律(時間順序)が、非因果律(ハイデガー的な時間"性")にとって変わる、とも言える

・「こんにちわ」の文字列の意味が「abc」でしか表されなかったときからして、あわせて「cab」でも表されるということになる

・意味"性"は時系列(因果律)を突破している、ということである

・ただ、このことを時間(因果律)内で、他者に伝わるように説明することが殆ど為されていない、ということだけに思う

・日本語の可能性としては、〜"性"、という言い方が大変よい


■流れの中で ソレからのエクソダス

・文字だけではなく、あらゆるもののなかに入り込めるということ

・そこでは、まさに、現実界が、純粋持続が、VALISが、インドラネットワークが、神の暗号が、流れている

・流れる愛それ自体について


■それ性のあとで

・さて、われわれ、は流性のなかにあるところのあるである

・希求されるのは流れの中における神話ではないだろうか

・神的なものにおける破壊は、何も、あたらしいものを生まない

・つまり、神話的なものへと


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