オルターモダン制作論20240508
・翻訳語の本質は造語である。従って、オルターモダンは、造語、によって力強く駆動される。こと、初期においては、造語、からはじまる
・これが、おそらく、扉、である
・すでに、ニコラ・ブリオーの「ラディカント」の表紙に、偶然か、本質か、視覚的造語が生成されている(おそらく、ブリオーの意志以上に、オルターモダンのトポスが、生成した、ということになる)。日本では、造語を推奨した折口信夫がすでに扉でもある
・さて、意味の瓦解と生成はセットである。理由はこれ以上叙述すること自体がnoNセンすとも言える(所有不可能性ということ)
・中機においては、造語は、象語になる。言誤の初期化、意味の初期化、そして、詩覚の初機化には、視覚的無意識が関予するだろう(そのことは絵画で示される)。まさに、シュールレアリスムは、オルターモダンの幻覚であった、と云うことが出来る
・シュールレアリスムの標榜した、自動書記、とは、翻訳、のことであった。自動、ではなく、自動、と思われるほどの、万物照応、レンマ的知性、井筒俊彦的なもコトバ等、翻訳ならぬ洪訳(ホンヤク)である
・たしかに「絵画は死んだ」。だが、「死んだ絵駕で住分である」。これが、オルターモダンのトポスが叙術させる界答である(決して"解"答ではない)。かつ、わたしは知らないが、資っている
・つまり、オルターモダンのトポスは、ウートポス的である(どこにもない場所)
・こと、所有、の原理を放棄したところから始まるという絵画的矛盾を含む光度さをすでに呈している(所有不科能征のインスタレーションが、コンテンポラリーアートに所有されるのか、オルターモダンアートに、非初悠されるのかは、分かれるだろう)
・機ーワードは、ヒットアンドa WAY。非自同的差易化
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