【IDEA】悩みのタネはどこから来るのか…
今回は「悩み」関するテーマになります。悩みの多くは人間関係と聞きます。教師をやっていると、生徒の元気がない場合、大概は友人関係や親子関係が原因な気がします。
それらが理由で、学校に来なくなったり、場合によっては学校を去る生徒もいます。本人は辛いでしょうが、悩み抜いて出した答えが、たとえ後ろ向きなものであっても、人生いつか「あのときの決断は良かった」と言える日が来たりします。
正直、私は人間関係で悩んだ経験は少ない方です。それは、周りの人間との比較からではなく、人間関係の悩みが、社会にこれだけ渦巻いていることに理解できないからです。
たまに、生徒から「先生には感情がないのか?」なんて言われたことがあります。一応あります。腹が立つことはありますが、悩まないだけです。
ただ、「悩みがないことに悩む」ではありませんが、私のような人間でも、悩むから人間であると再認識できるのかもしれません。
【悩みは不安や心配からやってくる】
持論ですが、人は何かに挑戦するとき、不安や心配を頭だけであぁでもないこうでもないと考え続けると悩みになると思います。これ自体は否定しませんが、この状態を少しでも解消したい場合、参考になる図があるので下記に載せておきます。
縦軸の挑戦レベルと横軸のスキルレベルのバランスを取る必要があります。
何事も大抵の場合、挑戦することに対してスキルが伴っていません。
例えば、数学のテストに対して高得点と目指しているが、解き方が全然分からなくて困っている場合、やがてそれは不安となり、こじらせると悩みになってしまいます。ところが、問題への理解が進み、数学のスキルが向上し始めると、今度は計算自体が作業になっていき、やがて退屈します。
そうならないためにも、普段から自分の到達度と理解度に向き合いつつ、適切に挑戦レベルとスキルレベルを調節することでフロー(夢中になれる)状態になれます。
このことから、物事に対して心配や不安な場合、自分のスキルレベルを上げつつ、挑戦レベルを下げるようにすれば悩みは解消されます。
尤も、世間の悩みがこれほど単純では無いかもしれませんが…
【悩みがもっと憂鬱な場合】
ただ、冒頭に記したように、人間関係に関する悩みが圧倒的に多いと思います。そうなってくると、フローもヘッタクレもありません。読者からは「そういうことを聞いているのではない!」と聞こえてきそうです…
おそらく、現代における悩み事というのは、言い方を変えれば憂鬱になるような、場合によっては本人の命に関わるものなのかもしれません。
そうした重大事案にもなり兼ねない悩みについては、参考になる書籍があるので紹介しておきます。
まず、本書では「今日の大衆は生活水準と知的レベルが向上しており、それと相まって、個人の自由の主張と道徳の低下を招いている。これが原因で、国民国家の弱点になる」と指摘しています。
これが悩みとどう関係しているのかと言うと、本書では次のように書かれています。
訳語が読みにくいので、私なりに要約しますと、「生活水準と知的レベルがある程度保証された我々大衆は、自分のために人生を作り上げるようになります。一方で、この人生を他の何かに捧げることで、張り詰めた気持ちや悩みも次第にほぐれていくのである」
確かに、誰しも自分のための人生ではありますが、それを自分のためだけに捧げると、追求するあまり汲々します。自分々々であるが故の悩みであれば、何か(誰か)に時間を割くというバランスも必要になってきます。
こう結論付けると「悩む人の多くは、自分のためだけに生きているからだ」と帰着してしまいそうですが、決してそういうわけではありません。
実は人間関係の悩みというのは、本人が悩むべきものではありません。これに関しては、また別記事にしたいと思います。
他にも、著者は自由であるが故の憂鬱さを指摘しているので、良ければ読んで下さい。
【おわりに】
予定していたよりも記事が長くなってしまいました…
今回は以上になります。ここまで読んでいただきありがとうございました。これからも、何かの参考になる記事を投稿していくので、よろしくお願いします。
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