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【NOVEL】体躯の日 第12話(最終話)

 玄関の扉をノックする音が聞こえて来た。当初、俺はこの朝のドタバタが終わるものだと、てっきり思っていた。が、それは事の発端にすぎず、発端というよりもはや、扉が開こうとしていることに終末的な気分にさせられるのだった。固く心を定めていたはずの意思が、ここにきて緩みつつあったからであり、正直怖くなっていたのだ。俺の身体は、短く「はい」と玄関に向かって声を放った。その明瞭さは自信に満ち満ちていた。どうしてこいつは、こんなにも自分の風体に疑問を持たないのだろう。俺は小さな声で「やっぱり…」と聞こえない程度の声量で発してしまったのである。それを聞き取れなかったのか、単に無視しているのか不明であったが、俺の身体は早足で玄関へ向かう。すると、扉一枚を挟んで「先ほど、お電話頂いた佐藤です」と若い声がした。
 卓上の俺は、顔を玄関先にぐるりと向けた。
 身体が起こす一連の動作に不審さは無かった。奴はドアノブに手を掛け、扉を開けると第一声が「すみません、お忙しい中…」と、呼び出しておきながらの謝意を含む低姿勢。開き切った扉の戸先を右肘で止めてみせた。対峙する二人の対応すべきものに、不調和な感じがどこにも無い。奴の先にいる黒のスーツにカッターシャツの…
 おかしなもので、俺は普段何も考えていなかったのであろうか。さっきまで、首の無い自分の身体と話をしていたから、事物に対する驚きというか、そういった感覚が麻痺していたのかもしれない。そうだ、こいつと対面した際、俺自身の反応は薄いものであった。なぜなら、奴を見る以前に自身が首だけになっていることに気付いていたからである。既存していた身体に対する愛着の有無は関係なく、恐怖心が拭い去られていたのであろう。要するに、自分が既に異端なものであったから、あいつに対して自然な応対が出来たのだと、今更だが感じる。
 問題はここからである。驚く際の悲鳴というのは、予兆や伏線無しにいきなり起こるものでは駄目なのであろう。テレビドラマのようにはならない。本当に突発的であれば、人は声を出すのも忘れてしまう。その上、俺は眼前にある奴の風体に慣れてしまっていたのだ。
 なので、玄関先に立っている佐藤という首の無いホテルマンに、俺は声を出して動じることは無かった。ただ、首元の骨格筋が収縮をし続けと、漸くぞっとした。二人はまるで打ち合わせをしていたかのように話が進む。事情を説明している俺の身体と、それに対してはいはいと聞いている佐藤には身振りがある。
「はい、確かに先程、お客様と鍵の受け渡しを致しました」
「おい、聞いたか?」と、腰を反転させて俺の身体は俺に言う。
 冒頭でも言ったが、俺はひどい近眼だ。高々四五メートル先で対話をしている二人の頭部がぼやけて見えない、という苦しい理屈を通したところで話は進まない。しかも、ホテルマンの佐藤が言うには「今朝はそのようなことで、対応させていただいているお客様が多くいます」とのことであった。
 多くいる?ちょっと待て、今現在、世間はどうなっているのだ?話の脈絡が一向に読めないぞ。鍵の受け渡しが多いということか?
 それに対し、俺の身体は「なるほど、それもそうですね」とすぐさま聞き入れると、続けてこう言った。
「今より後に起こることを推量するのが趣味な奴ら。考えかけたことは金輪際、考え抜かねば気が済まないことに呆れ返ってしまい、それに付き合うのも大変でした」
 すると佐藤は、すぐさま同情して「そうでしたか。実は、昨夜からそのようなお客様が多く居りましたので…こちらこそ、手が行き届かず不便をお掛けしました」と言った。尚も続ける。
「ちなみに、お客様は“処分“のご予定はございますか?」
「処分?」
「はい、当ホテルではチェックアウトの際、“あれ“を放置していただいても問題ございません」
 佐藤の提案を受け、俺の身体は腕組みをして扉に寄り掛かる。
「そうだな、この際だからお願いして良いですか?何せ、これから入社試験がありまして、そろそろ支度をしないといけない」
「左様でございますか。ご健闘をお祈りしております。“あれ“が無くなったお客様でしたら、良い方向へ導く力がございます」
「いやはや、周りがどの程度この姿になっているかが心配です。何せ“あれ”があるかないかで、今後の合否が決まってしまいかねないね、ははは」「ははは」
「おい!ちょっと待て!」
 俺は、その場に向かって大きく一声を上げた。だが、その先の言葉は考えていなかった。「それは、一体どういう意味だ…」と、途端に力無く言うだけであった。
 すると、二人の心も興が醒めたのか、佐藤はこの場の雰囲気を汲み取って「それでは、失礼します」とお辞儀をして、その場を後にした。
 扉は閉まった。
「あいつは何だ?」
 腕時計をはめる。
「何の芝居をしていたのだ?」
 靴下を履く。
「口裏合わせやがって、汚いぞ!」
 外靴を履き、鞄を提げる。枕元、ナイトテーブル、化粧台、洗面台…忘れ物が無いかを確認すると、俺の身体は姿見の前に立って「良し!」と言った。奴は勢い良く扉を開け、廊下へ出て行った。がちゃんと扉が閉まると辺りはしんとなった。
 なるほど、外へ出なくても察しておかなくてはいけないのだ。本来あるべき姿は、もはや見たくもない。

 外はすっかり晴れていた。

#創作大賞2024 #ミステリー小説部門


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