【IDEA】正義の味方と悪の組織
私は、学生の頃からジャンルを問わず漫画をよく読みます。子どもの頃は、ジャンプやマガジン、チャンピオンなど毎週コンビニで買っていました。一ヶ月もすれば、雑誌は自室の片隅に溜まっていきます。さらに、単行本も揃えるので部屋は漫画で一杯でした。
それが今や、電子書籍で定期購読が出来るので、週刊誌の在り方も変わったなぁと思います。
好きな作品は沢山ありますが、当時少年だった私の心を揺さぶるストーリーは、正義の味方である主人公が悪を倒すという、いわばバトルモノでした。ベタといえばベタな展開ですが、ヒーローが悪を倒し、さらなる強敵が現れると、主人公も増々強くなって悪を倒していくというものです。
歳を重ねるにつれて、手に取る漫画は勧善懲悪のような作品が減りました。おそらく、社会人になると現実では正義と悪のラインが曖昧だったり、そもそも二別し難い事実を知るからかもしれません。
あるいは、冷静になって正義と悪の人物像を比較するようになったからもしれません。
そうした疑問に対して、参考になりそうな画像を探していたところ、気になるチャートがあったので転載します。
【正義の味方の場合】
確かに、彼らの目標は曖昧なことが多いです。例えば「ある人を助けるために旅を続けている」「〇〇を倒すため、旅をしている」というものです。今思うと、旅ではなくもっと合理的な方法があるのでは…と思ったりします。
彼らには大きな目標があって、それを達成するために、道中のイベントをこなしていく…物語とは、いわばスモールステップの連続です。
そうした出来事の多くは、主に「困っている人を助ける」というシナリオです。村の村長からの頼み事だったり、村一番の看板娘からのお願いだったり…要するに、彼らの正義感は受け身の姿勢が多いです。これはRPGの勇者もそうですが、結構行き当たりばったりです。
まるで、主人公の行く先々に殺人事件があるかのように、本筋から逸れていても、とりあえずイベントをクリアしていきます。
加えて、彼らは基本的に単独あるいは少数精鋭です。一人一人のキャラ立ちがしっかりしていて、少ない人数をお互いの個性でカバーし合います。
身も蓋もありませんが、正義の味方の「正義」とは誰を指しているのかと言えば、大抵の場合「民衆」ですが、そもそも民衆は別に正義でも何でもありません。
結局のところ、正義の味方とは、ある種の理想主義なのかもしれません。それ故に、理想と現実のギャップに彼らは腹を立てます。
【悪の組織の場合】
一方で、敵役となる悪というのは、何やらトンデモナイ野望を抱いています。それこそ、世界征服や地球滅亡のような、悪影響かつ被害甚大をもたらすものです。私からすると、その野望を達成することで、その先どんなメリットがあるのか不思議でなりませんが…
彼らは野望達成のために、トンデモナイ兵器を怪しげな博士のもとで計画していたりします。しかも、長い年月をかけて実験と検証を繰り返しています。悪者なのに、この辺りは意外と用意周到です。
また、彼らは、ことあるごとに正義の味方によって何度も懲らしめられますが、後日ケロッとした顔で悪さをシています。物語というものは、悪役によって盛り上がるわけですが、その背景に彼らの打たれ強さがあると私は思います。
加えて、悪さをする連中は組織で行動します。組織までいかなくとも、少なくとも徒党を組んでいます。役割を持ち、複数人で悪さをするのは合理的です。みんなで悪さをすれば、脳内に過剰なドーパミンが放出されるので、これは実社会でもよくある光景です。
そもそも、一人で悪さをするのは詰まらないですからね。
結果、彼らはよく笑っています。
【悪から逃れ、ヒーローに頼る前に…】
ところが、実社会では漫画のような分かりやすい善悪ではないかもしれません。記事のまとめとして、私たちは現実ではどのように立ち回るべきかを書いてみます。
まず、悪に対する心構えですが、「見ない・触れない・近寄らない」に尽きると思います。ちょっと目が合っただけなのに…肩が少し触れただけなのに…「因縁をつけられた!」となる場合があります。そもそも、治安の悪そうな、怪しい雰囲気な場所を避けるのが懸命です。諺に「君子、危うきに近寄らず」とあるように、たとえ興味本位であっても程々にしましょう。
もし、あなたが筋骨隆々で武術に長けていても、漫画のような戦闘は絶対に避けるべきです(当たり前ですが…)。なぜなら、悪というのは上記にも記した通り、単独行動ではないので、仮に戦いによってその場を乗り切ったとしても、後日、仲間を連れてわさわさやってきます。
次に、正義の味方(ヒーロー)に対する心構えですが、見知らぬ人に助けてもらえそうな場合、余程のことがない限り「どうもありがとう!でも、お気遣いなく!!」と言って断りましょう。
そもそも、現実の世界にヒーローがいるのかという疑問は置いといて、私が言いたいのは、無償で人に助けてもらえるほど世の中甘くないということです。要するに、ヒーローに見せかけた悪者だったりします。近頃の社会の善悪は、それだけ巧妙な気がしてなりません。諺の「情けは人の為ならず」とは本来の意味では善因善果ですが、誤用されるのは昨今の社会が物語っているような気がします。
断っておきますが、私は何も、人の善意を全て疑うべきと言っているわけではありません。かく言う私も、職場での好意や善意というものは喜んで受けます。しかしそれは、彼らとの日頃のコミュニケーションを通して、その人となりを信頼しているからです。正直、彼らが正義かどうかはどうでも良いです。
【おわりに】
ここまで読んでいただきありがとうございました。noteを始めてそろそろ1年近く経ちます。ここまで続けていられるのも、様々な方からのコメントだったり友人からのアドバイスのお陰なのかなと思います。これからもよろしくお願いします。