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たった一度の人生ならば、それはほとんど何も起こらなかったようなものである。『存在の耐えられない軽さ』の痛切なる絶望について。

『存在の耐えられない軽さ』ミラン・クンデラ

すでに多くの人が言及していることだが、まず何よりもタイトルが素晴らしくカッコいい。

なんせ『存在の耐えられない軽さ』である。この意味ありげなタイトル。ひょっとして文学史上最もカッコいいタイトルではないだろうか。少なくとも『舞踏会へ向かう三人の農夫』の10倍くらいはカッコいいと思う。(ちなみに『舞踏会へ向かう~』、内容はメチャクチャ面白いです)

カッコいいのはタイトルだけではない。この小説はいきなりこんな書き出しから始まるのだ。

『永劫回帰という考えは秘密に包まれていて、ニーチェはその考えで、自分以外の哲学者を困惑させた。』

一体何が始まるというのだろうか。こんな書き出しの小説は今まで見たことがない。そしてそこから2ページに渡って繰り広げられる痺れるような哲学的思弁。この冒頭2ページだけで文学や哲学好きの人はすっかりヤラれてしまうのではないだろうか。自分は冒頭の10行だけで購入を決めた。

小説は『軽さ』と『重さ』というテーマで進んでいく。

ここで言う『軽さ』と『重さ』とは、すなわち『偶然』と『必然』のことで、永劫回帰、または運命や宿命的なものによって『あらかじめ決定されているもの』が『重さ』であり、単なる偶然の積み重なりなどによって『その時たまたま起こったようなこと』が『軽さ』と定義されているように自分は捉えた。

軽さを巡る断章で印象的なものとして

『(一度は数のうちに入らない)と、トマーシュはドイツの諺をつぶやく。一度だけおこることは、一度もおこらなかったようなものだ。人がただ一つの人生を生きうるとすれば、それは全く生きなかったようなものなのである。』

というのがあったが、これなどはかなりの『軽さ』である。衝撃的なほどに。なんせ生きようが生きまいが大して変わらないと言っているのである。それが一度きりの人生であるならば。なんという痛切さ、なんという絶望だろうか。

物語は優秀な外科医でプレイボーイのトマーシュ、その妻のテレザ、トマーシュの愛人であり、奔放な画家のサビナ、サビナを愛する大学教授のフランツの4人が、1968年の『プラハの春』と、ソ連軍のチェコ侵攻という激動の時代に翻弄されながらも、それぞれの愛と人生を展開させながら進んでいく。通奏低音として流れるのはベートーベンの弦楽四重奏の『そうでなければならない!』という響きだ。

と、これだけ聞くと、冷戦時代を舞台にした大河ロマンのようだが、この小説はこれだけでは終わらない。凄いのはここからである。

まず物語の大まかなあらすじは小説の前半でほとんど示されてしまう。そして後半は時系列が錯綜し、それぞれの登場人物について掘り下げられたり、それまで語られなかったドラマや、そこに至るまでのエピソードが事細かに語られるのである。(時には作者であるクンデラが顔を出して所見を述べたりもする)

つまり、読み手は登場人物がどのような運命に向かっているのかをあらかじめ知った上で、それを「受け入れて」いく。たとえそれが抗いがたい過酷な運命だとしても。その結果、ただ一度きりしかない人生が、幾度も繰り返されているかのような感覚に陥るのである。そう、この『存在の耐えられない軽さ』という小説そのものの構造が、永劫回帰という概念と響き合うように呼応しているのである。

この手法はなかなかに鮮烈で、特に最終章の『ピアノとバイオリンの音に合わせ、テレザは頭をトマーシュの肩にのせ、ダンスのステップを踏んでいた』という幸福なラストシーンにおいて途方もない威力を発揮する。自分はここで、膝から崩れ落ちるような喪失感を味わった。ナイーブな人なら号泣してしまうんじゃないだろうか。

そしてここで読み手はこの小説のテーマである『軽さ』と『重さ』について、再び立ち戻って考えてしまうのである。

本当に『重さ』は恐ろしいことで、『軽さ』は素晴らしいことなのだろうか、と。

20年以上前、初めて読んだ時から好きな小説だったが、今回、久々に読み返してみて、やはり非常な傑作だと改めて感じた。当時はこの小説が好き過ぎて、持ち歩き用にと文庫本を別で買い求め、カバンに入れっぱなしにして、暇を見つけては通勤途中などで読んでいた。少し長めの断章が積み重なっていくタイプの小説なので、ところどころ拾い読みをするのに最適だったからだ。文庫本をカバンに入れっぱなしにして持ち歩くなんて、村上春樹の『1973年のピンボール』以来である。そういえば『ピンボール』も断章が積み重なっていくようなタイプの小説だったっけ。

ミラン・クンデラに関しては、この『存在の耐えられない軽さ』がきっかけで、当時、彼のほとんどの著作を読破したはずなのだが、今では内容もほとんど忘れてしまった。おぼろげな記憶をたどれば、確か『不滅』はかなり良かったような気がする。よし、『不滅』も再読リストに入れておこう。とは言え、最近は通常の積読に加え、再読の積読なるものもどんどん増えてしまっていて、ちょっと困ったことになっているのである。いやもう『積読の耐えられない重さ』とはこのことである。(←最悪笑)


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