僕が使える魔法
軽妙なリズムに深い歌詞、それを紡ぐハイトーンな歌声。
これが、僕の「SEKAI NO OWARI」評だ
今回は、そんなSEKAI NO OWARIの作品の中から、アルバム「tree」に収録の「PLAY」を紹介しつつ、自らの苦悩をグチりたい。
始まったのはRPGのようである(ちなみに、シングルでもある「RPG」はこの曲の次に収録)。
ゲームを進めてたどり着いたイバラのダンジョンで、何か魔法が使えないかと開いた冒険の書にあったのは…
そんなことある?
気持ちが唯一の魔法?
歌の主人公(?)も、そこに疑問を抱きながらゲームを進める。
ゲームとしては確かにおかしい。
クリアの難しいイバラのダンジョンを、魔法もなしに攻略するなど。
しかし、現実の世界に、わかりやすい魔法なんてない。
歌詞の通りに、「何度もトライ」して「コンティニュー」するしかない。
魔法は気持ちだけだけど、折れずにトライし続けると応援や支援が、さらには同志が得られるのだろう。
これは、人生訓である。
人生はまるでRPGである。
様々な課題があり、様々な分析点があり、時に戦い、時に逃げ、時に助けを得ながら先を目指す。
RPGとは「ロール・プレイング・ゲーム」の略であり、和訳すれば「役割を演じる(ことで進む)ゲーム」である。
人生はまるでRPGであるというよりは、RPGそのものかもしれない。
セカオワは、「PLAY」の中で「おかしなゲーム」の世界を通じて、人生とは何かを説いているのである。
歌詞の世界をまとめれば
「人生とは、特別な魔法が使えない、身体一つが勝負のRPGである」
ということだ。
「ここじゃないどこかへと行ってみたい気持ち」を持ち続けて挑み続けた先にしか見えない風景を目指す旅こそ、僕がハイパー児童館ぷれいすの夢を抱えて進む人生になり得るではないか。
じゃあどこまで進んでいるのか?
全く進んでいないではないか…
少しトライした時期もあった。
応援してくれる人はいた。
協働してくれる人が見つかりかけた。
しかし、結局は協働に至らなかった。
そして心が折れ、家計が火の車になった。
ゲームは、ゲーム・オーバーになってもリスタートできるのがいいところだ。
セーブすべきレベルもない僕は、今一旦ゲームをリセットしている。
魔法なんてない。
僕の「ここじゃないどこか」は、「地域にみんなの居場所をつくる僕がいる場所」だ。
いろいろスッキリしたら、今度は前よりも腰を据えてゲームに取り組もうと思う。
まだ、「ここじゃないどこかへと行ってみたい気持ち」が萎えたわけではない。
僕が目指す、ここじゃないどこか↓