高いカベ、深いミゾ
地域に根差したみんなの居場所、ハイパー児童館ぷれいすを作りたい。
繰り返し伝えているように、具体的に動いてる部分はほとんどありません。
それでも、一時期小さくても瞬間的でもいいから一歩でも半歩でもと単発のイベントを企画したことがありました。
最初は、代々木公園でインクルーシブな遊び場を作ろう!と企画を立ち上げかけました。
「かけた」とは?と思ったあなた、鋭いです。
そう、立ち上げかけながら、立ち上げることも叶いませんでした。
理由は、実行力のなさでも、広報の挫折でもなく、時は2014年、デング熱による公園閉鎖でした。
それでもいただいた応援や賛同に応えるべく、次なる行動に出ます。
地元の集会所を借りての単発「ハイパー児童館ぷれいす」です。
しかし、これには二つの誤算があり、完全に頓挫することになりました。
一つ目の誤算:スタッフが集まらない
これは単(ひとえ)に計画性、イベントの訴求力、私の人望のなさです。
二つ目の誤算:利用者獲得の失敗
この誤算が大きかった。
代々木公園でのイベントが頓挫してから集会所のイベントに切り替えるのに時間の余裕を設けなかったため、広報にかける時間をあまり取れませんでした。
そこで、長男の保育園の同級生の保護者に協力を打診しました。
その同級生には、身体障害のお兄さんがいて、当時在籍する特別支援学校に伝手が作れないかという意図があっての打診でした。
快諾と応援をいただき、当時のPTA会長さんに取り次いでくださいました。
順調に進む気配に胸躍りながら直接のコンタクトを取らせていただいた先にあったのは、予想していた気配とは真逆のものでした。
障害の有無や種別を問わないインクルーシブな場作りという、ハイパー児童館ぷれいすの根幹に対する強い懸念と反対。
それ故に得られない賛同。
「自らの意思で身体を動かすことが困難な肢体不自由児が、行動を制御するのが難しい知的障害児と同じ場で過ごすのは危険があるため容認できない」
〜障害種間にあるミゾの深さを実感…
「障害のない子や保護者に、障害児の理解を得て共に過ごすことは考えられない」
〜障害者理解が進まないのは、非障害者側の問題だけではないというカベに直面…
ソーシャルインクルージョンに対する不安や悩みを訴えられたのであれば、それを共に考えることができるし、形は変わっても有意義なイベントになったかもしれません。
しかし、そこにあったのは、ソーシャルインクルージョンに対する拒否反応ともいうべき強い拒絶でした。
実際、ソーシャルインクルージョンに向けた(という言い方をしたわけではありませんが)意見交換だけでもできないかという提案もキッパリ断られました。
結局スタッフも利用者も集まらないまま、がらんとした集会所で、それでも時間を作って顔を出してくれた数名のお仲間に愚痴を聞いてもらうだけになってしまいました。
これ以降、単発でイベントを開こうという動きはしばらく封印しました。
心が折れたというのがないわけではありませんが、それ以上に感じたこと。
ソーシャルインクルージョンを実現するために越えなければいけないカベ、埋めなければいけないミゾがどこにあるのかを、もっと見極めなければいけない。
カベを越え、ミゾを埋めるには、単発イベントではなく、やはり常設の場を作り、時間をかけて理解と共存を進めていくことが必要だし、遠回りだけど近道だ(急がば回れ)ということ。
単発イベントは失敗に終わりました。
しかし、意義のある失敗だったとも思います。
幸い、痛手はあまりない失敗でもありました。
常設の場を作るには整っていない部分が多々あるので、とにかく想いを切らさないように。
引き続きこの場で語っていきます。
(とか言いつつ、とある団体に協働を持ちかけて頓挫するという事案がこの後発生。お相手のこともあるので、詳細は記しませんが、この件よりショックが大きかった…)