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ワークライフバランスの違和感


ワークライフバランスという言葉を中学で知った時、謎に違和感があった。それを社会人として仕事をしても感じる。


つい先日書いた記事で精神的におかしくなった日を綴った。自分のしたいことを我慢してまで仕事をする意味があるのかを考えた。まあ、そもそも仕事ってそういうものって割り切って頑張れる人がすごいんだと思う。自分はそこが割り切れないから辛いかなと思う。

その時の記事でも少し思っていたことだが、精神的におかしくなった原因が、「自分のしたいことができない」が一番だった。読書をしたり、語学の勉強をしたり、大切な彼女と電話をしたり。

これらが人生の最大の楽しみであり、そして自分は近いうち必ず彼女と、または自分で面白く、ワクワクするようなことをしよう!と考え、行動に移している。これが私の人生の楽しみであり、私自身の喜びでもある。


前から言われているワークライフバランスという言葉に対して、今改めて何かが違うなと感じている。この言葉自体は、目新しい言葉ではない。理不尽な働き方を強いられてきた事実がある社会で、個を尊重しようという動きのもと、生活と仕事の両立を図るために生み出された言葉だろう。

内閣府の憲章に、仕事と生活が調和した社会を以下のように定義されている。

国民一人ひとりがやりがいや充実感を感じながら働き、仕事上の責任を果たすとともに、家庭や地域生活などにおいても、子育て期、中高年期といった人生の各段階に応じて多様な生き方が選択・実現できる社会
http://wwwa.cao.go.jp/wlb/towa/definition.html

この文章を読んで、なるほどと感じるとともに、やっぱりどこか違和感がある。

そもそも仕事はなぜ生活と分けられているのかがわからない。仕事も生活の1部なのではないのか。仕事は楽しくない、でも生活は充足している。なぜそんな区切りで考えているのかがわからない。

そもそも仕事は、自分がこうしたい!社会をこうしたい!だから、この仕事に就くんだ!だから、この仕事でやりがいが生まれるんだ!という思いから働くのではないかと感じている。

これは人生全てに言えることで、自分が行動することは、自分がこうしたい!誰かにこうしたい!という思いのもと生活をしている。

だから、「仕事と生活は」という区切りはなく、「生活の1部である仕事は」みたいな観点が必要なのではないかと思う。

ワークライフバランスの政策として、育児ができやすくなったり、休暇が取れやすくなったり、ハラスメントを減らそうと動きがあったり……。

もちろんそのようなことは重要。でもそれを考える前に、仕事をしているあなたが何をしたいのか、そしてそれが実現できる仕事ができているか。ここが本質なのではないかと思う。

私は仕事で、業務が与えられると、「私のしたい事は、この業務で実現できているのか?」「これによってお客様はなぜ喜ぶのか?」のようなことをまず考える。

そしてそれが実現できないならば、その旨を伝える。その伝えが通らないならば、自分で実現できる方法を考え、行動に移す。その行動を会社が止めてくるならその会社を去る。なぜなら、仕事は生活の1部であるから。会社にいることが仕事じゃなくなったから。


少々私の考えはひねくれていると自分でも思っているが、私もこの人生に誇りを持っている。

ワークライフバランスという言葉の違和感は、仕事と生活の両立という言葉と、会社が行なっているワークライフバランスの施策への違和感と言い換えられる。

仕事と生活を両立しようとワークライフバランスを考えるからメンタルやられるんだよ。そんな2つに分けると考える量増えてキャパオーバーよ。ライフの中にワークがあるの。だから、生活で楽しいことと仕事で楽しいことが結びつかず、メンタルが疲弊するの。あなたの生活、人生でしたいことは仕事でもできていますか。





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ときえもん@impressioner
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