ときえもん@impressioner
心理学や行動経済学は、介護で学んだ心の在り方から興味が湧いた「もの」です。
もうお昼過ぎましたね。皆さん何食べましたか? 私はいつものカップラーメンを食べました笑笑 ……そんなたわいもない話を家族の方としましたか? 私の親はALSです。正式名称は筋萎縮性側索硬化症。原因不明の治らない難病です。筋肉がだんだん弱ってきて、最期には呼吸困難になり、息引き取る恐ろしい病気。視覚や聴覚、思考は正常。伝える手段がなくなるだけ。 たった、それだけの病気かって思いますか? 想像してください…… 体は動かないし、喋れない。 ただ聞こえるし、視えるし、考え
・今日のFAXの紙表紙がマナーであること ・不思議に感じること ・紙資源の説明 ・代替案があればいいこと 先日、お客様との対応?研修のようなものが会社で行われた。会社の事情なので、内容は控える。ただ、その際ある一言に違和感を持ち、記事を書こうと考えた。 午前の部が終わろうとする時に、講師の方がFAXの郵送について、こんな発言をした。 「FAXを送る際は、内容の前に表紙を送ります。なぜ送るかはマナー的に送る必要があります。」 また、マナーがどうとかの話だよとうんざりして
ワークライフバランスという言葉を中学で知った時、謎に違和感があった。それを社会人として仕事をしても感じる。 つい先日書いた記事で精神的におかしくなった日を綴った。自分のしたいことを我慢してまで仕事をする意味があるのかを考えた。まあ、そもそも仕事ってそういうものって割り切って頑張れる人がすごいんだと思う。自分はそこが割り切れないから辛いかなと思う。 その時の記事でも少し思っていたことだが、精神的におかしくなった原因が、「自分のしたいことができない」が一番だった。読書をしたり
関西弁で生きてきた私の話は、言葉もイントネーションも大阪譲りのものだ。東京に来て半年が経過した。ほとんど不便はないが、一番の壁は敬語だった。目上の人に話そうとすると「〇〇であるが」や「〇〇です。けれども〜」と話してる人が多い。ただ、私は気をつけて話そうとしても、関西弁が出るので、「〇〇なんですけど〜」みたいになる。昨日もプレゼンがあったときに、関西弁がすごく出たらしい。イントネーションも全然違うみたい。だから、先輩には「ヒヤヒヤしたよ。大丈夫なのかと思う」と言われた。 入社
これまで行動経済学の記事はたくさん書いてきました!記事や本など多くの情報源を元に事例を考えたり、実際あるデータを使って、行動経済学の面白さを記事にしてきました。過去にもしかしたら行動経済学との出会いを書いたかもしれないが、改めて、出会った日のことを振り返ってみる。 この記事で一番伝えたいのは「今の自分を作っているものは、日常にある無数の出会いから生まれる」と言うことです。 2つの出会い私は経済学部を今年卒業しました。現在は社会人です。経済学部に入った理由は、高校数学ができ
「いきなりだけど、みんなは好きな言葉ってありますか?俺は-...」 会社の先輩が朝礼をしているときに言った。 その人の好きな言葉は残念ながら忘れてしまった。それはそのときに好きな言葉についてnoteに書こう!って思ったから。 私からもこのnoteを見てくれている人に聞きたい。好きな言葉ってありますか? よくプロフィールかなんかに好きな言葉が書いてあったり、インタビューとかで好きな言葉を聞く場面を見たことがある。私も好きな言葉は幾つかあるし、それは人生に影響を与えている
私は最近ノンフィクション作品をすごく読んでいる。国外から国内の作品まで幅広く読んでいた。 特にその中でも、日本のかつての悲惨な事件は私にとって、読み漁る毎日を送らせるキッカケを与えてくれる。 最近読んだ本を並べると、かの尼崎事件を鋭い洞察力で追い続けた小野一光さんの「家族喰い」や川崎市で起きた中1男児殺人事件を描いた石井光太さんの作品「43回の殺意」など、他にもあげればキリがない(その中でも清水潔さんの作品は読んでほしい)。 読むのが辛くなるほどの作品でも私は向き合い続
よく自己肯定感がどうだとか、モチベーションが上げなきゃとかの話って、すっごくされているように思う。社会人になるととんでもない量のこの言葉を聞いたな。 読書を続けてきて、自分の本棚を見ると、自己啓発本が全くというほどないんだよな。あるのは7つの習慣ぐらいであとは、教養書とか専門書、ノンフィクションや哲学書がある。最近は、600ページぐらいある経済学書を読んだな。とても大変な量でした(笑) こんな本棚の人は他にもいるんじゃないかな?そして、その人たちはもしかしたら自己肯定感と
-------宮崎駿さんの言葉------ 「大事なものは、たいていめんどくさい」 --------------------- 新卒入社で4ヶ月目に突入した。私はIT企業で働いています。東京に上京してきた時から不安はありましたが、ワクワクもしていた。何より親に恥ずかしい子供を見せたくなかった。 私の業務をざっくり言うと、「プログラミング言語により、製品を作る」というもの。現在はプログラミングを学ぶためにみっちりと業務を行なっているのですが、これがとてもめんどくさい。
新卒入社から3ヶ月が経過した。たくさん思うことがあるが、それは置いておこう。 言い訳をしても意味ないから日々学んでいる時分だ。それでも一番の悩みとなるものが3ヶ月間変わらなかった。「時間」の捉え方だ。 もっとわかりやすくいうと「時間が足りない」という感覚である。このどうしようもない感覚に見舞われており、焦る自分もいた。 今は落ち着いている。なぜなら、このnoteを書いているからだ。そして、このnoteを書いて、自身の気づきを再認識するのだ。 私が時間を欲していることと
このnoteは私から私自身への叱責を込めたnoteです。noteの最後に伝えたいことも書きました。 私はかつて、自宅介護をしていました。母がALSという難病になり、自分の生活が一変しました。簡単に言うと、「絶望」です。私は、20になった途端に、絶望の道を進んだと感じました。 現在22歳で、もう少しで23歳になります。私は、この絶望経験を乗り越えたというよりも、いつの間にか乗り越えれたといったほうがいいです。あきらめなかったと言ったら嘘になるかもしれませんが、実際自分は諦め
世間では、緊急事態宣言が出されているところがある。そうでなくても、今コロナ禍で外出自粛は当たり前みたいな風潮になっているかもしれない。 そんな中、ゴールデンウィーク中に帰省をするなんてとんでもないと言う人も多いと思う。私も全くそうは思わないわけではなく、同意するところがある。 4月29日、私は東京から地元へ帰省した。本当はしなくてよかったかもしれないけど、どうしてもしたいと思うことがあったからだ。それは私のリスクよりも思いが勝った結果だ。 母が介護施設へ入院してから2ヶ
とある事情により、「7つの習慣」という本を読むことになった。この本を読むのは二度目である。一度は、大学入学して数ヶ月後に呼んだことを記憶している。 そして、今回新たに読むことになった。1週間前に読み終えたのだが、やっぱり本書は素晴らしいかった。多くの学びが書かれており、自己啓発本が苦手である私にとって、数少ない良書であると思う。 そもそも、なぜ自己啓発本が嫌いかといえば、考え方ばかり押し付けられても、結局は「行動」しかないということ。そして、無理難題ななんちゃって自己啓発
----ー私は義務教育もかなり前に終えた1人だ。----- 小学校、中学校と勉強の成績は良い方だったと思う。その中では、優等生と言われる部類だったのではないかな。 その当時、私は自分の力で点数が取れて、成績がとれてる、私は一人で頑張ったのだ。誰の力を借りていないのだ。 そのような考え方をしていた。それは高校生になっても同じことである。なんら変わりはなかった。高校受験は塾に行かず一人で合格したし、それは大学受験も同じ。国立大学に塾に行かずに合格した。 私一人の力が素晴ら
タイトルから分かりづらいことになった。私はview数を稼ぐことにはあまり興味はないかもしれない。 まず、世間話を挟む。つい1週間前ぐらいに友人と遊んだ。同級生であり、これから社会で働いていく仲間たちだ。みんな楽しそうでありつつも、不安があるようだった。 その友人の1人がこんなことを言った。 「Twitterで発信してる記事にコメントしてるの見てるで!面白そうなんあったら、俺も見てるし。」 Twitterで発信してることは、私のアウトプットである。言わば、自分用であり、
まだ見ぬ未来が私を待っている。 2021年は社会人一年目として過ごしていく。新しい環境にどうなっていくかわからない。人脈・金・時間を犠牲にした今、私を救ってくれるのは学びでした。勉強しなければ、本当に今の私がないと思います。そして、それを続けれなけば、私の今はないのだと思います。 昨日、私は「7つの習慣」を読み直した。最後の習慣のところには「学び、決意し、実行する。それを続けることが大切である。」と書かれていた。 私は原則に基づいていたのだ。これほどまで日本に救われた事