
新しい自分になるタイミング、なのかもしれない
今朝、目覚めてしばらくしてから、ふと左手首に違和感を覚えた。
触れてみて「あ、」と思う。
22年間、ずっと身に着けていたブレスレットがなくなっていた。
いつなくなったのだろう。
寝ている最中に切れてしまったのかと思い、ベッドを探したが見当たらない。
ふと思い立って、スマホのカメラロールを確認してみると、どうやらなくしたのは昨日のようだということがわかった。
私はいま「自撮りがヘタなことを改善したい」という目的で、友人と2人で毎日、自撮り写真を送り合っている。昨日の午前中に撮った写真には、左手首にブレスレットがあったが、ランチを食べて戻ってきた後の写真には、すでにブレスレットは写っていなかった。
つまりランチを食べに行ってから戻ってくる間のどこかで落としたらしい。
なんで気付かなかったんだろう。
その間、何度も何度も自分の手首を見ていたはずなのに。
悔やまれる。
が、同時に諦めもついた。
きっと私にとって今が、あのブレスレットを外すタイミングだったんだろう。そう思うことにした。
二十歳から22年間、着け続けていた件のブレスレットは私の、幼なじみの母親が買ってくれたものだった。
幼なじみとは同じ団地に住み、生まれてから数年間を姉妹のように過ごしていた。今ではお互い忙しいし、用事がある時しか連絡を取らないけれど、それはたぶん家族のそれと同じような気がしている。
二十歳になった頃、たまたま幼なじみの実家に遊びに行った時、彼女の母親がなぜかこのブレスレットを買ってくれた。
なんでそんなことになったのかは、あまり覚えていない。
ブレスレットはプラチナだった。
華奢でシンプルなデザインで、とても好きだった。
そんな高価なものを身に着けたことのなかった私はひどく恐縮したが、とてもうれしかった。
そしてその日以来、ずっと身に着けていたのだった。
なんとなく、このブレスレットがお守り代わりのような、そんな気がしていた。
だが、それから22年後の今、私はあっけなくそれを失ってしまった。
もちろん悲しい。
けれど私はこれを、自分のフェーズが変わるタイミングだと、前向きに考えたい。
ブレスレットにたとえられる「何か」に守られる存在ではなく、自分自身が家族や大切な誰かを守る存在に変わるような、そんなタイミングなのだと考えたい。
あいにく私はあまりスピリチュアルなことに興味はないが、それでも時々こんなことくらいは言いたくなる。
あぁ、書いてスッキリした。
ブレスレットをなくしたことに朝からモヤモヤしていたのだが、こうして書くことで、その供養ができたような気がする。
書くことってすばらしいな。
というわけで、私はこの、推敲も何もしない文章をネットの海に垂れ流し、また次の仕事を始めるのだった。
※トップの画像は、本文に出てくるブレスレットとは無関係です
いいなと思ったら応援しよう!
