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『かえるの王さま』の草稿を読む①: カエルは王子ではなく王である

挿絵:Bild, 1910

以前の記事で、『かえるの王さま』と『浦島太郎』は、物語の構造が同じだと書きました。また、どちらの作品も古代の感覚で読むべき、と書きました。

グリム童話の改訂過程

しかし、こういう議論を展開するには一つ問題がありました。私がこの考察をしたとき、『かえるの王さま』の話として、グリム童話第7版の金田鬼一訳(岩波文庫)を参照しました。

グリム童話は、1812年に出版された初版から6回の改訂を経て、1857年に出版された第7版が最終版となっています。

グリム兄弟は、初版の執筆に際して学問的価値を重視し、民衆から直接聞いた話に比較的手を加えず、そのまま書き留めていました。しかし、それではあまりに飾り気がない、内容や表現が子ども向きでないといった批判を受けたため、版を改めるたびに、修飾的な文章を追加し、過度に残酷な描写や性的な部分を削除するなど、グリム童話の主たる買い手であった当時のドイツの富裕市民が受け入れやすい形に変えていきました。その過程で、当時の価値観に合わせ、性差別や父権的な要素も加えられたと言われています。

そのため、第7版は、もはや資料的価値のある口承文芸とは言えず、当時の市民に受け入れられやすく、また、子ども向けに面白く書かれた読み物としての側面が大きくなっています。

このように改変された話をベースに、物語の構造やら古代の感覚やらを議論するなんて学問的態度が甘すぎるというお叱りの声が聞こえてきそうです。

ごめんなさい!この分野の専門家じゃないもので・・・

そういうわけで、『かえるの王さま』の話も、できる限りドイツ人が古くから語り伝えてきたままのものを見ておこうと相成ったわけでございます。趣味が高じて、というやつです。

エーレンベルク稿

調べてみると、グリム童話には、初版が出版される前、1810年に書かれた草稿があります。19世紀末にアルザスのエーレンベルク修道院で発見されたエーレンベルク稿と呼ばれているものです。

研究者がエーレンベルク稿と初版を比較したところ、グリム兄弟は初版の執筆の段階で、口承で聞き取った内容に既にかなり手を入れていることがわかっています。従って、現在入手しうる版の中で、このエーレンベルク稿が、口承による聞き取りに最も近いものであると考えられています。

というわけで、本記事では、エーレンベルク稿に記載された『かえるの王さま』(この段階ではタイトルは『王女と魔法をかけられた王子』)を第7版と比較してみます。必要に応じて初版にも言及します。

参照した文献

エーレンベルク稿

  • ドイツ・ロマン派全集(第15巻)(国書刊行会,1989年)所収の「王女と魔法をかけられた王子」(小澤俊夫訳)

  • The 1810 Grimm Manuscripts (Oliver Loo, 2015)所収のThe King's-Daughter and the Enchanted Prince. Frog King.

  • Kinder- und Hausmärchen: Die handschriftliche Urfassung von 1810 (Heinz Rölleke, Reclam Philipp Jun., 2007)

初版

  • 初版グリム童話集(吉原高志・吉原素子訳,白水Uブックス,2007年)所収の「かえるの王さま または鉄のハインリッヒ」

第7版

  • 完訳グリム童話集(金田鬼一訳,岩波文庫,2003年)所収の「蛙の王さま(一名)鉄のハインリヒ」

初版と第7版の英語訳は、民俗学者であるピッツバーグ大学のD.L. Ashliman教授のものを使用しています。同教授は、以下のサイトで『かえるの王さま』の初版と第7版の比較を文単位で行っています。

初版と第7版のドイツ語原文も同教授のサイトで文単位で比較されており、参照しました。

タイトルの変更

まず最初に、エーレンベルク稿からの重要な変更事項として、作品のタイトルがあります。

エーレンベルク稿のタイトルは、小澤俊夫訳では、

王女と魔法をかけられた王子

となっていますが、原題は、

Die Königstochter und der verzauberte Prinz. Froschkönig.

で、英語に直訳すると、"The King's Daughter and the Enchanted Prince. Frog King"、日本語への直訳は「王女と魔法をかけられた王子 かえるの王さま」となり、二種類のタイトルが並置されています。小澤俊夫訳では、前者のみをタイトルにしたようです。後で述べるように、これは悪手だと思っています。

一方、初版以降は、

かえるの王さま または鉄のハインリッヒ

で統一されています。原題は、

Der Froschkönig oder der eiserne Heinrich

です(英訳:The Frog King or The Iron Heinrich)。

カエルは王子なのか?王さまなのか?

まず気になるのは、

かえるだった男は、王子(Prinz; Prince)なのか、王さま(König; King)なのかよくわからない

ことです。王子(Prinz; Prince)は王の息子であり、王(König; King)ではありません。

エーレンベルク稿のタイトルには、両方の語が出てきます。にもかかわらず、この稿の本文をチェックすると、男はあくまで王子(Prinz; Prince)であり、王さま(König; King)とは一度も書かれていません。普通に考えたら、タイトルも「かえるの王子さま」とすべきです。

そういうことがあってか、「かえるの王さま」の英語のタイトルは、The Frog Kingではなく、The Frog Princeとして広く親しまれていますし、日本でも「かえるの王子さま」というタイトルが使用される場合があります。

初版では、タイトルはすでに「かえるの王さま または鉄のハインリッヒ」となっていますが、本文をチェックすると、やはり男はあくまで王子(Prinz; Prince)であり、王さま(König; King)とは一度も書かれていません。

ところが第7版になると、「王子」(Königssohn; King's son)と書かれている個所と、「若い王さま」(jungen König; young King)と書かれている個所があるのです。ちなみに、初版までは「王子」は一貫してPrinz(Prince)と書かれていましたが、第7版ではすべてKönigssohn(King's son)と書き換えられています。Prinz(Prince)がフランス語に由来する語であるため、よりドイツ的な用語に変更したようです(英語版Wikipediaの"Brothers Grimm"のページ参照)。

「若い王さま」(jungen König; young King)という語が使用されているのは2箇所だけです。鉄のハインリッヒが「若い王さま」の家臣であることに言及している箇所と、馬車が「若い王さま」を彼の国に連れて行くことを説明している箇所です。いずれも文脈的に男の国での地位が問題となっています。

第7版で「王子」(Königssohn; King's son)と書いているときは、王女の父である王の息子という意味で使用しており(なぜなら王女と結婚したから)、「若い王さま」(jungen König; young King)と書いているときは、他国の若い王さまであることを意味するように用語を変えているのだと思われます。

つまり、

この男はすでに自分の国では王位を持っているのです。

ですから、男はカエルになる前から王だったのであり、

「かえるの王さま」というタイトルは、正真正銘、正しいのです。

そして、この事実は、エーレンベルク稿の段階からそうなのです。でなければ、エーレンベルク稿の2番目のタイトルとして「かえるの王さま」が追加されるはずがありません。この追加は極めて重要な意味を持っているのであり、邦訳で省略すべきではなかったのです。

エーレンベルク稿の本文ではPrinz(Prince)を(王女の父である)王の息子という意味で使用することで、男が王位を持つということをあえてわかりにくくし、タイトルだけでうっすらとほのめかしていたわけです。

初版では、タイトルを「かえるの王さま」で始めることで、この事実を若干強調した形になっていますが、本文では相変わらずPrinz(Prince)しか使わないため、まだわかりにくくなっていました。

そこへ、第7版においてKönigssohn(King's son)とjungen König(young King)を併用することで、読者に対して意味を明確にしたのだと思われます。

鉄のハインリッヒというアクセント

次に、初版以降のタイトルで、鉄のハインリッヒの名が入っていることに、多くの人は首をかしげるのではないでしょうか?

このお話の最後で、王子の忠臣であったハインリッヒが迎えに来て、王子と王女を馬車で王子の国に連れて行きます。ハインリッヒは王子がカエルになったことを深く嘆き、悲しみの余り胸が破裂するのを防ぐため、鉄のたがを三本胸にはめた人物です。このたがは、馬車が国に向かう途中、王子が人間に戻った喜びで次々とはちきれて飛び散ります。

そもそも、ハインリッヒの部分は、このお話のメインストーリーが終わったあとの付け足し的な感があります。蛇足であると感じる人も多いのではないでしょうか。子ども向けの話では省略されることもあるくらいです。

にもかかわらず、驚くべきことに、初版以降のタイトルは「かえるの王さま または鉄のハインリッヒ」であり、

このお話の別名は「鉄のハインリッヒ」である

と言うのです。これは、この話のもう一人の主人公は鉄のハインリッヒであると言っているようなものです。とてもトリッキーな仕掛けだと思います。グリム兄弟恐るべし、と思いました。

しかし、鉄のハインリッヒがどうしてそこまで重要なのか、物語では全く語られることがありません。多くの人が理解に窮しています。

Yahoo!知恵袋にもこれに関する質問が見つかります。

王女様が、カエルをたたきつけた途端、カエルは本来の王子の姿に戻ることができます。ここでお話が終わりでもよいと思うのですが、このストーリーの中で、ハインリッヒにはどんな意味があるのでしょうか?

何の説明もなく唐突に出てきては、何故かラストを飾り、しかも「かえるの王さま」の別名が「鉄のハインリヒ」とされるように、題名にまでされています。 一体これには何の意味があったのでしょうか? 個人的には、「何これ?こんなのただの蛇足じゃないの?」と思ってしまいました。

私の知る限り、公式的な答えはありません。

私的な解釈としては、グリム兄弟は、鉄のハインリッヒが主人公だったとしてどういう物語になるか、読者に空白を埋めてくださいと言っているのではないでしょうか?

まず、初版および第7版で、男が王であることを強調し始めたのは、鉄のハインリッヒを重視したことと関係があると考えます。グリム兄弟にとって、偉大なる鉄のハインリッヒが遣えるべき相手は、王子ではなく王であることが必要だったのです。つまり、鉄のハインリッヒは、王を支える忠臣です。これすなわち、国を支える最重要人物であるということです。

一方、彼が支える王はどんな人物でしょうか?

まず、歳が若いです。先代の王が早死にし、若くして王にならざるを得なくなったのだと思われます。

しかも彼はカエルになってしまいました。第7版では、悪い魔女の魔法で変えられたことになっていますが、この記述は初版まではありません。エーレンベルク稿のタイトルに「魔法をかけられた王子」とありますから、魔法によって変わったのは確かです。

いずれにせよ、彼がカエルであった間、彼の国は国王が不在だったということです。

さらに、王はどんな性格でしょうか?王女への接し方から想像するに、立派な人物とは言い難いでしょう。カエルになったことも、何かやらかしたからではないかと思えてきます。本作品中、鉄のハインリッヒだけが唯一まともな人物だとさえ言われます。

以上を鑑みると、実質的に国を支えたのは鉄のハインリッヒだったということになります。王が人間に戻れるよう差配したのも彼ではないかといった想像も広がります。

鉄のハインリッヒが配置されることで、カエルと王女のドタバタ劇が対比的に浮き上がり、また、この話以前と以後のハインリッヒの苦労が偲ばれることで、物語の周辺構造に楽しい想像が広がりはしないでしょうか。

こんな解釈をしてみましたが、いかがでしょうか?

次回予告

タイトルの変更に関する議論だけで、ずいぶんと長くなってしまいました。次回はいよいよ本文の比較に入ります。

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