幸運の女神は前髪しかない
座右の銘とか、日ごろ立ち返る言葉って、それぞれの人にあると思うのですが、言葉の中には①教訓系(自分の中に根付かせていきたい言葉)と、②実際自分の身に起こったから信じたい!という2つの側面があるのかなと最近思ったりします。
自分の中では、自分がこうありたい、自分を律したいという想いから、①に関しては真っ先に思い出す言葉は稲盛和夫氏の有名な言葉。
その物事を進めるにあたって私心ではないのか、動機は善なのか
という問いは、私の中でも常にリフレインする観点。それをやりたいのか、何故やるのか、どのようにやるのか、の寸分にも私心を排除し、ゴールを見据えて最善(取り得る中での良い策)を取ろうとしているのか・・・というのは問うべきポイントであり、時として陥りやすいピットフォールだと思っています。
②に関しては、2つの言葉が真っ先に思い出します。
そこそこ社会人生活も重ね、色々な経験や出会いを蓄積していると、過去のささいなことや、その時は役立つと思っていなかったようなことが繋がってくることが非常に多くあり。もちろん、将来を見越してドットが繋がるような行動はしつつも、仮に自分自身が望まない(モチベーションが上がらない)タスクであっても、将来的に役立つ・つながることが多いことは実体験を複数回通じて体感していて、間違いないと思う言葉。
これも納得感高い言葉であり、最近の行動に心がけていること。幸運は待ち構えていなければ、後で振り返ってその女神を追いかけても後ろ髪はないから捕まえられない、というもの。最近少しずつ、ボランティアベースでベンチャーサポートの声がけが掛かることあり、結構な即答で「やります!」というケースが続き。相手的には、もっと考えなくて大丈夫ですか??とかえって言われることもありながら、私の中ではある程度の判断基準と他の活動との配分を思いつつ、声がけいただいた時に逃すもったいなさより、引き受けて仮に自分が大変な労力を強いられるとしても受けたい、と思う。引き受けて必要な知識・経験・マインドセット・ハードな局面などなど、何も失うことはなく、成長の糧になると信じたい、、、なと。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?