ロストテクノロジーは燃えているか
「パソコン」なんて最新技術を、レトロだなんて受け入れないぞ!
80年代90年代なんて、ついこないだの出来事じゃあないか!!
最近また流行りだした「レトロ」というワード。そもそもレトロの定義とはいったいなんだろう。答えは「人それぞれ」だ。
多くの人は「ホーロー看板と駄菓子屋」、「ちゃぶ台にモノクロテレビ」、「大阪万博や東京オリンピック」を思い浮かべるのではないだろうか。
これが一般的な「レトロ」の定義だと思われる。「三丁目の夕日(西岸良平による漫画や実写映画)」の影響が大きい。
最近では60年代の建物を再現した施設も多く、より身近に60年代のレトロを学ぶことができる。
私が思い浮かぶ「レトロ」もまったくその時系列で、ケネディ大統領時代の宇宙コンテンツなんかも大好きだ。幼い時から、そんな60年代の文化を愛して生きてきた。
…はずだった。
しかし、突如として現れた「レトロPC」というワードが、私のレトロをぶん殴った。いったいどこから現れたのか。
実家だ。
レトロPCだぁ〜!?
コンピューター(パソコン)がレトロなわけないだろう!だって最新技術なのだから!まぁ、コンピューターと言われて思い浮かべる絵面も人それぞれなので、何をもってコンピューターとするか線引きは曖昧だ。
しかしわかって欲しい。さきほどまでホーロー看板をレトロと言っていた人間からすると、まるで受け入れられない技術なのだ。
だが、「レトロPC」というジャンルが存在することは確かだった。
近年、そんなレトロPCの愛好家が集まり、オークションサイトやリサイクルショップでジャンク品なんかを漁っているのだ。
パソコン情報雑誌の編集をしていた父も、その愛好家の一人なわけで、彼の部屋はレトロPCたる物で溢れかえっていた。そして実家に帰るたび、ラインナップは変わっていた。どうやら売買しているらしい。
レトロPCやその年代に関する本も多く並んでいる。研究というより「懐かしんでいる」といった様子だ。
実家に帰るたびに父から「コレ持って帰りなさい」と渡される。ソレは、そんな80年代に関する本。父はひたすら私に、彼が信仰する「レトロ時系列」を教えた。
帰って借りた本を読むも、「違う!こんなのレトロじゃない!80年代…ついこないだ発表されたばかりの技術じゃあないか!」とまったく受け入れられない。
ある時、友人が一つの映像を見せてくれた。90年代末の番組で、「デジタルカメラ」の最新情報を紹介していた。100万画素を超えるカメラが出たと、番組は盛り上がっていた。
「待てよ。そういやデジカメって持ったことがないな…」
ぶっちゃけ、カメラという機械に興味がない。撮影という行為にも興味がない。ただ、カメラの歴史には興味があったので、観賞用として数台カメラを持っていた。博物館のように飾るだけ。故に、デジタルカメラなんて最新技術の塊を手にしたいと思ったことはない。
しかし、友人から見せてもらった番組が、それはもう魅力的にデジタルカメラを紹介するものだから、無性にデジタルカメラに触れたくなった。いったい、100万画素とはどの程度の画質のことをいうのだろう。
さっそく90年代のデジタルカメラを探そうと決意した。こうなったら彼に頼るしかない。父だ。
ハードオフのカメラコーナーで「かくかくしかじか」と話すと、「そんなんデジタルマビカ一択だろ」と迷わず機種名を出してきた。
「まびか?」
そう。1997年、SONYから発売されたデジタルマビカ。画素数は50万以下。そしてこのデジタルマビカには大きな特徴がある。「メディアがフロッピーディスク」。これがこのデジタルカメラの有名な性能だ。
こうして、父の手からマビカを受け取った。それと同時に大量のフロッピーディスクも受け取った。写真を撮るだけなのに、こんなもんを持ち歩かなきゃならないのか?そもそもフロッピーディスクを入れるだけあり、本体が大きい、重い。
ボタンをスライドし、ガチョンと開いたその口に、貰ったばかりのフロッピーディスクを差し込む。UIがとてもシンプルということもあり、一発でシャッターを押した。
そして、手の中でカメラがかすかに震えだした。書き込んでいるのだ。結構な時間をかけて、ガーッガーっと音をたてながら…先ほど撮った写真を…先ほど刺したフロッピーディスクに…。シャッターボタンを押してからどれくらい待っただろうか。震えはおさまった。
私はその場に崩れ落ちた。膝をつき、デジタルマビカを天にかかげ、叫んだ。
「レトロだ!」
そう。実際にこの手でレトロに触れた。この振動と音と苛立ち、なんて原始的なんだろう。確かにこれは最新の技術ではない!ついこないだの出来事じゃない!確かにレトロだ!
「レトロだよ!これはレトロカメラというジャンルだよ!」と、父に泣きついた。父は「でしょー!?これがロストテクノロジーだ!」と誇らしげにドヤ顔をした。
潤んだ瞳で、あらためて父の部屋を見渡す。そこには大量のレトロPC。
実家はこんなにもレトロで溢れていたのか…。
撮った写真を、すげーめんどくさい方法(省略)でPCに取り込み、確認する。画質が悪い!レトロだ!レトロカメラというフィルターをかけると、なんでもレトロになるのか…!
こうして、私はレトロPCというジャンルを受け入れた。
私の時系列は狂っていた。ついこの間発表されたとばかり思っていた技術は、こんなにも原始的だったのか。これがロストテクノロジーか。
それ以来、実家に帰ると受け取っていた本は、実機へと進化した。
また、父とはもっぱらレトロPCとレトロカメラの会話ばかり。昼夜問わずLINEでオークションサイトのURLを共有しあった。大変充実したレトロライフを送っている。
未来は寝てても必ずやってくる。新たなPCやカメラが、今日もどこかで発表されているかもしれない。しかし、過去(レトロ)はこちらに歩み寄ってはくれない。レトロな技術をその手で感じたことで、私の未来はもっと面白くなるに違いない。体全身にレトロを浴びて、「レトロ!」と叫んだあの日のことは、一生忘れないだろう。
そして、文字から得られる知識というのは、本当にごくわずかだ。当たり前だが、これはレトロに限った話ではない。
サリバン先生にひたすら水をかけられ「ワーラー!」と叫んだとされる、ヘレン・ケラーの有名なエピソードがある。
調べればスマホの中で、どんなこともわかるこの時代。実際に触れ、体感することの大切さを教えてくれるのは、案外そのエピソードかもしれない。
追記:私はデジタルマビカと同い年でした!