見出し画像

ひとりぼっちも素晴らしい【孤独感を手放した先にある自由】vol.4

こんにちは、スナオイロのナオコです。

前回に引き続き、今回も多くの人がネガティブに捉えがちな『孤独』について、わたしの経験をわかち合いをしていきたいと思います。

よかったら vol.1 からどうぞ👇


🔶お読みいただく上で知っておいてほしいこと

わたしが発信する内容は、特定の人や言動、関係性、システム、固定観念などへの反対意見や批判ではありません。

こちらのページでは そのように感じられる部分も多々あるかと思いますが、わたしは『すべてが必要があって存在し、意味があって起こる』という世界だと思っています。

なので、過去の不快な体験に対しても、嫌だった人物に対しても、現在進行形のネガティブな感情がほとんどなく、このような体験があったから今のわたしの学びや成長などにつながっているんだと捉えられています。
基本的に「ありがたい経験をさせていただいた」というような気持ちです。

それでもこういった少し批判めいてしまうような内容を発信しているのは、『知ること』がとても大切だからです。
自分の中に『ある』と認識できていない感情は癒すことができないし、勝手に暴走してしまうことがあると、実体験を通して痛いほど学んできたからです。

孤独で辛い気持ちを感じている方や孤独を恐れている方には、ちょっと耳が痛いとか、読んでいて心がギュッと苦しく感じてしまうようなこと、受け入れたくないと思うことなどが出てくるかもしれませんが、わたしの変化の体験談が、あなたらしく生きるヒントにつながればうれしいです☺


🔶なぜ?『孤独=恐ろしい』という固定観念

🔹権威による支配的仕組み

なぜ多くの人たちは『孤独=恐ろしい』という思い込みの中に囚われて生きているのでしょうか?

これは、人間の生存本能的に…という話もあるけど、『孤独=恐ろしい』と思わせておく方が 権威が幅を利かせている物質社会にとって好都合だからということも大きいとわたしは思っています。

権威と一口に言っても、世界を支配しているかのような圧倒的権威から、国や企業、また、親、先生、上司などといった家族や小さな社会の権威まで様々です。

もちろん権威があるような立場の方でも、自分を律して謙虚に生きられている方は大勢いらっしゃると思いますが、わたしの周りの環境はどうやら違っていたのかなと思っています。


🔹社会的価値観の影響

わたしたちは、「○○があればもっと幸せになれるのに」「○○がないから自分は不幸だ」などといった、物・お金・権威をどれだけ持っているかによって自分の幸せが決まるという、物質至上主義的な価値観を社会的に植え付けられてきたようなところがあると思っています。

それは、誰かと比較したところにある優越感と劣等感の中で生きているということです。

そのような、自分の幸せが 他者との比較の上に成り立っていると、
「みんなは○○を持っているのに自分は…」「○○してないとダサいと思われる」「○○を見てないと友達との会話に入れない」…
などといった劣等感や孤独・孤立感に敏感なので、次々に商品購入やサービス利用をしてしまいがちです。

となると、モノやサービスを売って儲けたい人たちにとって、そういった不安をあおることを利用しない手はありません。
これは言い方は悪いけど 悪口を言っているのではなく、自分が売り手だった場合、やはり相手の不安に付け込む文言を営業トークに入れてしまいやすいんですよね。

大きなメディアは とても権威ある人たちが動かしていますから、物質世界の価値観、優越と劣等の間で頭と感情を揺さぶられて生きている わたしたちに、いろんな商品を購入させ・サービスを必要以上に利用させるのは簡単なことです。

だから、『孤独=恐ろしい』と思わせておく方が 今の社会にとって好都合なのです(とわたしは思っています。でも、この価値観も変わってきそうだなと思っています☺)。


🔹親の影響(わたしの個人的な体験談)

以前noteで書いたことがありますが、わたしの父親は大きい声でよく怒る人でした。
でも、わたしは親のことを完璧な人間だと思い込んでいたので、その関係性の中で心が苦しくなることがあっても、自分が悪いんだと思って生きているところがありました(そう思わされていたところもありました)。

夜2階で寝ていると、しょっちゅう両親のケンカの声が聞こえてきました。
とくに覚えているのは、わたしや姉の態度などで 気に食わないことを母に向けて怒鳴ることで、すごく罪悪感を感じさせられて、言葉にできないくらい、わたしのすべてで苦しかったです(言葉の使い方として合っていないかもしれませんが、想いを言葉にすると「わたしのすべてで苦しかった」んです)。

「いつ離婚してしまうのか、わたしはどちらを選べばいいのか… うぅ…」
そんなことを考え苦しみ、泣きながら眠りにつくという日を数えきれないくらい過ごしました(と言うより、穏やかな気持ちで眠りについた日はなかったかも…)。

当時は他の家族を知らないから何の疑問も持たずに生きていたけど、今思い返すと本当に重苦しく、ずっと孤独感に怯えながら生きてきたんだなと思います。


🔹条件付きの愛情

わたしの親子関係もそうでしたが、「○○できれば認められる。できなければ認められない」などといった、条件付けをクリアすることで認められる親子関係で育った人は、本人が自覚していない場合も含めて、かなり多くいるとわたしは勝手に思っています。

(そうでなければ、これほどまでに世の中に悩み苦しみ・争いはなかったと思うから。でも、このことすら必要だから起こっていると わたしは捉えています)

そうやって自分の感情を抑え込み、怒られることや孤独にひどく怯えながら育ったわたしたちは、言ってしまえば 自分の価値を自分で認められないように しつけをされてきたわけだから、自分を受け入れることがとてもむずかしいのです。

ということは、他者から認めてもらうことが必要不可欠になるわけで、他者の思い通りにコントロールされやすい人生の流れに 自然と進みやすくなります。

とくに、認められたいと思う相手や権威に対して 嫌われないように 顔色をうかがいながら、過剰に良い人・できる人を演じながら、従属的・犠牲的に接していくようになりがちです。

無意識であったと思いたいですが、少なくとも わたしの親にとっては、『孤独=恐ろしい』と子供に思わせておく方が 自分たちの思い通りにできる存在になるから 好都合だったということなんですね。


🔶vol.5 へ続きます

今回は、ちょっと暗い気持ち、心が苦しい気持ちになってしまった方もいらっしゃるかもしれませんね。

でも、『お読みいただく上で知っておいてほしいこと』に書いたように、本当の自分を知ることができないと、深い部分の感情は癒すことができないし、暴走もしやすく、その状態で自分の人生の舵をとっていくのはむずかしいことだと自分の体験を通してわたしは理解しています。

自分の人生、環境、固定観念といった 自分が囚われている部分への気づき、また、本来の自分自身と向き合うことにつながるような内容になったらいいなと思って書きました。

vol.5では、もう少しこの辺りの仕組みでわたしなりに思うことを書いてから、わたしが この孤独感をどのように手放し、心の解放感を感じられるようになっていったのか、という明るい方向へ話を進めていけたらいいなと思っています✨

拙い文章ですが、またどうぞご覧くださいませ☺

ありがとうございます! このnoteを良いな♪と思っていただけましたら、サポートをよろしくお願いいたします☺