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『あきらめる』と苦しみから解放されていく vol.1

こんにちは、スナオイロのナオコです。
孤独感シリーズの途中なのですが、『あきらめる』についての説明があるといいなと思って書きました。
今の季節がちょうど秋なので『秋らめる』のダジャレも込めて? 画像を秋っぽくつくってみました🍁笑

『あきらめる』というとネガティブな言葉として使用される方が多いと思いますが、わたしは苦しみの世界から抜け出すためのとても重要なステップになると思っています。
そうするためには、どのように『あきらめる』を捉えていくとよいのか、わたしなりにお伝えできればいいなと思っています。



🔶苦しみは『あきらめること』で抜け出せる

🔹わたしの『あきらめる』という言葉の捉え方

「『あきらめる』という言葉からイメージするものごとは何ですか?」
と聞かれたら、多くの人が『失敗や挫折などをしたときや、精根尽き果ててもう気力が残っていないようなときに使う、惨めでかっこ悪い、負け、ネガティブなもの』といったことをを思い浮かべるのではないでしょうか。

そして、あきらめようとしている人に対して「がんばれ!あきらめるな!前向きになれ!」などという言葉をかけることが多いのではないでしょうか。

わたしも以前は『あきらめる』をネガティブな言葉として捉えて使っていました。
でも今は、『いわゆる失敗や挫折』、無気力になった経験などを通して『あきらめる』ことの重要性を知り、苦しみに囚われた中で もがくことはなくなりました。

わたしの体験談のわかち合いが、あなたらしく軽やかに生きるヒントにつながればうれしいです☺

『あきらめる』をネガティブに捉えたままで終わらせなければ、すべては自分にとって良い体験となり、その先をポジティブな方向に転換させることにつなげられます。
いわゆる失敗や挫折』としているのも、そのような意味であえて書いています。


🔶『諦める』と『明らめる』

『あきらめる』には、『諦める』と『明らめる』の2つの表記があります。
わたしが検索したところでは、『諦める』の語源が『明らめる』と書いてありましたので一般的な意味としては、あまり違いはないようです。

余談ですが、わたしは言葉の意味とか つながりを考えるのが好きだったりします。
たとえば『幸福』と『降伏』。
一見、真逆の意味のようで読み方は同じ『こうふく』。
「どうして同じ読み方なのかな? そっか!降伏すると幸福になるのか!!」みたいな(意味不明ですみません…。長くなるので、この話はまた…)。

まあ、そんなわたしが、『あきらめる』をこの漢字を通して表記することの意味を勝手に感じながら、スナオイロ解釈を交えて『あきらめる』についてちょっと浅掘りをして(深掘りまではできないので。笑)、苦しみから抜け出していくことについて書いてみたいと思います。


🔶諦める=悟り

こちらの『諦める』、わたしが検索したところでは『諦』という字は『悟り』を意味すると書かれていて、やはり元からネガティブな意味を持つ言葉ではなかったようですね。

ちなみに『悟り』の意味を検索すると、『苦しみから解き放たれて精神的な自由を得ること』と出てきました。
『苦しみから解き放たれる』には、『執着を捨て去ること』が必要になります。
ということは…

『あきらめる』=『悟り』=『苦しみから解き放たれて精神的な自由を得ること』=『執着を捨てることで精神的自由を得られる』

冒頭で『あきらめることは苦しみの世界から抜け出すためのとても重要なステップ』だと書きましたが、わたしなりに理解していたことが間違いではなかったようで、この先、安心した気持ちで書き続けられます☺ホッ


🔹執着するのを『手放す』『諦める』

苦しみから抜け出すためには『執着を手放していく』ことが必要になると書きましたが、実際わたしは、このような他者に伝える場では「手放す」という言葉をよく使いますが、自分に対しては「諦める(というより、「もういっか♬」という気楽な感じ)」をよく使っているな…と、このnoteを書きながら気づきました。

また、こんなことも思いました✨

「ポジティブなことに向かっている中での諦めるはネガティブに作用しやすい」けど、「ネガティブなことに向かっている中での諦めるはポジティブに作用する」

もしあなたが自分自身と対話して問いかけるとするなら、「手放す」「諦める」どちらの言葉のほうが苦しみから抜け出しやすそうですか?!

わたしのイメージをわかち合いしますが、この意見が正解じゃなくて、個人差があるはずです。
自分で問いかけてみて、自分が受け入れやすい、しっくりくる言葉を使ってみてくださいね。

🔸「手放してもいいんじゃない?」と自分に問いかけてみた
『しがみついている、握っている』ということを瞬時にイメージして「わたしはべつに苦しみにしがみついているわけじゃない!」と反発する気持ちが生まれやすいかなと思いました。
あと、「はぁ…。やっぱりそうだよね、手放さないとダメだよね」と、ちょっと今までの自分を下げてしまうような感じもしました。

🔸「諦めてもいいんじゃない?」と自分に問いかけてみた
ちょっと光が射すというか、「ハッ!そっか、もう十分苦しんだよね、これ以上苦しまなくてもいいかもね…」と、凝り固まっていた心にちょっと隙間ができて、自分の心と折り合いをつけやすそうな感じがしました。
「諦めてもいいくらい、自分はよくがんばったよね」って、今までの自分も受け入れていきやすいなと思いました。


🔶明らめる=明らかにする、明け渡す

『明らめる』は『諦める』よりも簡単な漢字なのに、あまり使われないイメージがありますが、みなさんはどうでしょうか。
ちなみに わたしが検索したところでは、『明らかにする、気持ちを明るくする』と書かれていました。

わたしは孤独の問題と深く向き合いはじめた頃に、この『明らめる』を知り、「『明らめる』と『諦める』か…。なるほど!」と感嘆したのをおぼえています。

『苦しみの捉え方』👆もぜひ参考にしてみてくださいね☺

🔹苦しみを知るために『明らめる』

わたしは苦しみから解放されるためには、まず苦しみを知る必要があると思っています(必要ないというセラピストさんもいます)。
どんな苦しみがあるのかを知らないのに癒すことはできないですよね。

抑え込まれてきた苦しみは、癒されていないまま自分の中に存在し続けているので、ふとした時にその苦しみが刺激されて、苦しい感情に囚われてしまうことになります。

ここで書いている『苦しみ』とは、顕在意識で思っているような苦しみとは違い、自分の奥深くにあり、深く自分自身と向き合っていかない限り、なかなか気づくことはできません。

その深い部分の苦しみを知って理解し、癒しにつなげていくために必要なのが『明らめる』です。

苦しみを知るには、『自分の内側と向き合い、ありのままに事象を観て捉える=自分の内側にある苦しみを明るく照らして明らかにしていく』という過程があると思っています。


🔹おうちの片づけと似てる

おうちの中でも、もう使わなくなったのに捨てられないものとかしまい込んでいませんか?
そういうものって自分の心や頭のどこかでわかっているけど、見て見ぬふりをしてしまいがちで、さらにいらないものが増えていく…。
という悪循環(わたしも経験済み。笑)。

でも、おうちをスッキリさせるのであれば、まず、覚悟を決めてその場所に光を当てて明るくし、自分が何を溜め込んできたのかを明らかにしていくことになりますね。

そして、いらないものを持ち続けることを諦めていく、手放していく。
そうすると、物理的にも精神的にもスッキリしてスペースが生まれます。

これと自分の内側も同じということです☺


🔶一旦まとめ

もう少し細かく、わたしの『あきらめる』体験談のわかち合いもお伝えしたいなと思っていたのですが、長くなってしまったので vol.2 で書きたいと思います。

なので、テキスト的なことをここで一旦まとめておきます。

諦めるために明らめて(明るくして明らかにして)、諦めることができて、明らめる(気持ちが明るくなる)。

わかりづらっ…。笑
すみません💦 まじめにいきます!

🔶苦しみから解き放たれて精神的な自由を得るには…
① 自分の内側に光を当てて自分の本当の苦しみを『明らかにする=明らめる』
② 明らかになった苦しみ・執着を『手放す=諦める』
③ 精神的に気持ちが『明るくなる=明らめる』

👆vol.2 も書きました。
よかったらこちらもご覧くださいませ☺

あくまでスナオイロ解釈ですが、どちらの『あきらめる』も使っていくことで、より苦しみから抜け出しやすくなっていくと思います。

また、ちょっとスピリチュアル的ですが、手放したスペースを神様など、大いなる存在に『明け渡す』という『明らめる』もあるなと思っています。
これについても、いつか書きたいと思います。

あなたの心に少しでも、あたたかな光が差し込みますように✨
拙い文章ですが、またどうぞご覧くださいませ☺

ありがとうございます! このnoteを良いな♪と思っていただけましたら、サポートをよろしくお願いいたします☺