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人間として生きることを諦めたら心が軽くなった

こんにちは、スナオイロのナオコです。
今回はちょっと衝撃的なタイトルかもしれませんが、わたしが感じたことをそのまま表現しています。

前回までの『あきらめると苦しみから解放されていく』で、実はこの内容を書きたかったのに、肉付けしているうちにまったく書かずに終わらせてしまいました…。笑

先にお伝えしておきますが、これは「人間として生きるな」と言いたいわけではなく、わたしが精神的に軽やかに生きられるようになっていった過程の体験談、わかち合いになります。

変わりたいな、苦しいな、わたしの人生このままでいいのかな?…などと思っている方へ、わたしの変化の体験談が、あなたらしく軽やかに生きるヒントにつながればうれしいです☺



🔶『あきらめる』ことは大事なこと

はじめに、『あきらめる』という言葉をわたしがどのように理解しているかを知っていただけるとありがたく思います。

これは、わたしの言葉の理解が正しいと言いたいのではなく、わたしと違った意味合いで理解されている方には、話の内容・意味が異なったものとして捉えられてしまいやすいと思うので書いています。

なので、出来ればこちら👇のnoteをご覧いただき、前提をご理解いただいた上で、今回のnoteをお読みいただけるとうれしいです☺


🔹息苦しい、重苦しい世界を生きていませんか?!

わたしたちは孤独を恐れるあまり、自分に嘘をついたり苦しい思いをしてでも周囲に合わせたり、犠牲的になったり、権威に忖度したり…、
はたまた、権威を振りかざして支配的になったり、自分の思い通りに他者をコントロールしたくなったり…、

などといった、ありのままの自分で生きることがむずかしい人間社会だなと感じることがあります。
少なくとも、以前のわたしはそのような世界で生きていました。

というより、その世界しか知らないで生きていたから、「なんか苦しいかも…」と薄々感じていながらも、みんなこんな感じなんだろうと、苦しさに気づかないようにしてきたんですね。

そんな自分と深く向き合うきっかけになったのが、元夫のギャンブル依存症でした。


🔶人間として生きることを諦めた

冒頭でも書きましたけど、ちょっと衝撃的なタイトルですよね。
でも一応、現実的には戸籍もあって、見た目もたぶん人間として生きています💦笑


🔹前置き

今回のわかち合いは、(元)夫が家出をしていた頃(2019年頃)の話になります。
自分軸で生きるということが少しずつわかってきて、自分の人生に取り入れられるようになってきたけど、まだまだ波があった頃の話です。

わたしは一人での買い物帰り、元夫のことが気になって精神的に落ち着かない状態で自転車に乗っていました。
「はぁ…どうしたらいいんだろう…(悲)」
「あーもう!何がいけないんだろう…(怒)」
など「あーでもない、こーでもない!」と、不安な気持ちやイライラする感情に囚われていました。


🔹「人間じゃないのかも」って思ったら心が軽くなった

でもいつの間にか、怒っている自分のことを笑いたくなったり、清々しい気持ちで鼻歌を歌ったりしている自分がいて、そんな自分に少し驚きました。

そこでふと、疑問が湧きました。
「なんでこんな状況なのに、1人で笑えたり楽しく歌ったりできるのかな? わたしの頭おかしいのかな…?」

そして、自分の中で会話が続いていきました。
「変なの。人間じゃないんじゃない?!」と…。

そこで、
「あっ! わたし人間じゃないのかも!!」
と閃いたかのように思ったんです。

「えっ?! じゃあわたしは宇宙人?!笑」
「アハハ。宇宙人かもね!笑」
外で1人で自転車を漕ぎながら、独り言で会話をし、声を出して笑っていました。

心の淀みがスーッと消えて軽くなっていくのを感じられました☺


🔹変わってる人でいいや♬

「ちゃんとした人じゃないといけない」
「わたしは本当はすごい人なんだ」…
わたしは他者からの承認を絶えず欲し、負けず嫌いでもあったので、劣っていると思われることがとにかく嫌だったんですね。

劣等感、妬み、嫉み…
そのような感情にいつも支配されていて、自分が良く思われるような言動をして生きてきました。
それはわたしにとっては戦いでもあったんですね。
歯を食いしばりながら「負けてたまるか!」と。

でも、「人間じゃないのかも」って思えたことで肩の力が抜けたんです。
(肩こりも楽になりました!笑)


🔹ありのままを認めたら孤独から自由になった

最初のほうでも書いたように、わたしにとっての人間世界は、孤独を恐れて周りをうかがい、自分を偽りながら生きている息苦しい世界でした。

それが、「わたしは人間じゃない。変わっててもいいんだ!」と思えたことが、「ちゃんとした人じゃなきゃ!」という生き方を諦めさせ、その苦しくてガチガチだった世界・制限から抜け出すきっかけになりました。

「みんなと同じように生きなければならない」「人より劣ってる自分は許せない」という執着を手放したということです。

「たしかにわたしは変わってるかもなー♬」
「そもそもみんな違うんだから変わってない方がおかしいよね☺」
当然、前々から頭ではわかっていたことでしたが、しっかり腹落ちできたのがこの時でした。

『自分を真に受け入れる』ということがわかってきたのも、この時のことが大きな影響をもたらしてくれたと思っています。


🔶何気ない瞬間に気づきを

はい。変な人の変な話でした(こんな話ばっかりですが…)。笑
本当に何気ない日常の中のヒトコマ。

わたしは今も自分のことを『人間じゃない』と思っています。笑
そうすることで心が自由になり、戦いからも降りることができるからです。
そして、人間以外の存在も大切に思えるようになりました。
(この辺りの話も、もう少し詳しくしたいなと思います☺)

わたしたちは、そんな瞬間瞬間の中に自分の物語の選択肢がたくさんあって、そのどれを選ぶかは自分で決められる…、そんな世界で生きていると思うんですね。

何を食べるか、何を着るか、誰と会うか、どんな話をするか、どこに焦点をあてるか、どんな感情を持つか、どこへ行くか、どんな働き方をするか、どんな生き方をするか、どんな世界に存在するか、どんな世界をつくっていくか…。

何気ない自分の選択の瞬間を大切にしていきたいですね☺

こちら👆もう3年ほど前につくった動画です。
わたしも少しずつアップデートしているつもりなので、ちょっと今のわたしと違うところもあるかと思いますが、参考になればうれしいです。

🔸いつもありがとうございます!
あなたの心に少しでも、あたたかな光が差し込みますように✨
拙い文章ですが、またどうぞご覧くださいませ☺

ありがとうございます! このnoteを良いな♪と思っていただけましたら、サポートをよろしくお願いいたします☺