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気遣いは必要?! 本当の幸せは自分の内側にあると気づく。

こんにちは、なおこです。ご覧いただきありがとうございます。

大きなニュースがよく起こっていましたね。芸能人の方が自ら命を絶つという、なかなか受け入れがたいようなこともありました。

そういったことから私が感じたことを書いていこうと思います。


■ 幸せは自分の内側から感じるもの。

自分にとっての幸せとは、いったいどういうことなのでしょう。今が幸せでないと感じているのであれば、どうしたら幸せになれるでしょうか。

お金が…、家族が…、友達が…、政治が…、容姿が…、あれがあれば…。

このような考えがあったとして、実際にそれが手に入ったら本当に幸せになっているでしょうか?

一時的に幸せな気持ちになるかもしれませんが、少ししたらまた、「あの人がダメ、あれがない、これがない…」と恐れや焦りの気持ちが出てきてしまうことが多いのではないかと思います。

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私は夫がギャンブル依存症なので、以前は夫がギャンブルをやめてくれたら…、借金しないでくれれば…、夫の親の理解があれば…。などと、自分が幸せじゃない理由を夫やほかの人のせいにして生きていました。

夫と話し合い、「もうギャンブルはやらない」という結論になったことは何度もあり、そのたびに「やったー、更生してくれて良かった」と、もうこの世の不幸は何もなくなったかのようにハッピーな気持ちになりました。

でも数日すると、帰りがちょっと遅いというだけで「もしかして、またギャンブルやってるのかな…」と、幸せな気持ちはいつの間にか消え、イライラや不安で頭と心がいっぱいになっていました。

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他人軸で生きると、ちょっとしたほかの人の言動ひとつで自分の気持ちが幸せになったり不幸になったり、簡単に左右されてしまうのです。

本当の幸せは、他人によって簡単に左右されない自分の内側にあるはずです。与えられるものではなく、今ある幸せに自分がどれだけ気づくことができるかどれだけ自分自身に穏やかで安心感をもてるか、が大事だと思っています。


■ 価値観の押し付けに気をつけましょう

「あの人はきれいで仕事もうまくいってて、かっこいい旦那さんと結婚して子供も生まれて幸せよね」

私は、こういう発言を見たり聞いたりすると違和感を感じます(イライラとか怒りの感情ではありません)。とはいえ、数年前まで私も同じように思っていたと思います。

きれいだから幸せ、お金があるから、かっこいい旦那さんがいるから…

これらはすべて一般論や価値観によるものです。

「あなたは○○だから、いいわよねー」とうらやましがられても嬉しくないこともあるし、「あなたは△△だから、寂しいでしょ」と気の毒そうに言われても何とも思ってないのに…、ということもあったりします。

このように自分のことをほかの人に勝手に決めつけられるのは、意外と不快だったりします。 でも、自分もほかの人にこういうことを言っていることがけっこうあるんですよね。

自分が思っていることがすべて正しいわけではないし、自分にとっての正解がほかの人の正解にならないこともあるのです。

「私はこう思っていたけど、あなたの意見もいいよね」

自分の価値観の押し付けをやめてほかの意見を排除せず、いったん受け入れると、自分の気持ちも守られ、相手の気持ちも尊重できるので、お互いがとても楽な気持ちでいることができます。

■ ほかの人のことはわからない。だから責めなくて大丈夫。

私も含め、たぶんほとんどの人が本当の自分をわかっていないと思います。それなのに家族のこと、友達のこと、ましてや他人のことなんてわかろうとしてもわからないのです。

「あの人のことなら会話しなくても何でもわかる」という人もいるけど、それは表面的なことだけです。自分でも気づいていないような深い部分に癒されていないものは多くあります。

「気づいてあげられなくて後悔」「なんで相談してくれなかったんだろう」などと自分を否定したり憐れんだりしてしまう気持ちもわかりますが、理由をいくら詮索しても、もう誰にもわからないのです。

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それと、大切な人だからこそ心配かけたくなくて言えなかったということもあると思います。私も病気をしたときに不調であることをずっと隠してきました。

もうこれ以上我慢できない…となって病院に行き、即入院、翌日手術になり、親には「なんで言わなかったんだ」と怒られました。でも、ものすごく心配性の親に言えるわけがないというのが、親譲りの心配性だった私の考えでした。

私なりに親のことを想って、愛情があるから言えなかったのです。今はこれが正解とは思えないけど、この時の私には正解がこれしかなかったのです。

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自分や誰かを否定したり責めることで、悲しみや寂しさを紛らわすことはできても癒すことはできません。自分やだれかを責めるエネルギーから、新しい一歩を踏み出す勇気のエネルギーへと、少しずつでも変わっていったらいいなと思います。

■ 気遣いのできる人は素敵?! 気遣いすることをやめてみる。

「気遣いができる人は素敵な人」というのは一般的に当たり前になっている価値観だと思っています。

でも気遣いのできる人は、その言葉通り自分以外の人に気を使っています。自分にエネルギーがたくさんあって、満ち溢れている人なら問題ないですが、満たされてないのに気配りをしていると、気づいたら無気力になってしまっていることがあります。

誰かにしてもらえたらうれしいことを自分もするのは、素晴らしいことですが、自分が肉体的・精神的に疲れている時や、気遣いをすることによる下記のような別の目的があると気づいたら、気遣いをしないという選択をすることがとても大切だと思います。

・気が利く人だと周りに思われたい ー 優越感
・気を使わないと私は周りに認められない ー 劣等感
・自分が必要とされている存在だと認識したい ー 分離・孤独感


実際、こちらが気を使っても相手がどう思うかは相手が決めることです。でも、「こんなにやってあげたのに…」とイライラしたりすることはないですか? それは気遣いという名目で見返りを求めている行為になります。

「こんなにあなたのことを考えてやったんだから喜ぶに決まってるよね」という見返りへの期待があり、相手の気持ちの自由もないのです。

気遣いをされたけどうれしくなかったこと、困ったこと、多くの人が経験していると思います。うれしくないのに喜んでるふりをして、「あー、めんどくさ」って。笑

見返りを期待したり、優越感を得るため、劣等感や孤独感を埋めるための気遣いをしていないか、自分を見つめ直してみましょう。自分が満たされるための気遣いであれば、その行為にどんどん依存していくことになります。

疲弊するだけの気遣いの循環が起きていると思うのであれば、思い切って気遣いするのをやめてみましょう。もしかしたら相手も気遣いすることに疲れていて、やめたらホッとしてくれるかもしれないですよね。


■ 自分と相手の自由を認めることで生まれる安心感

私が思う『気を使わない』というのは、自分さえ良ければいいとか、相手を雑に扱うということではなくて、自分と相手の気持ちの自由を尊重するという感じです。

自分が穏やかで心に余裕がある状態は安心感を生み出し、相手の心も自然とゆるんできます。気遣いによって動かそうとしなくてもよいのです。

気遣いをするよりも自分の調子を整えていくほうが、自分にとって断然よいことですよね。それに、お互いに疲弊していくような人間関係は、あなたにとって必要なのでしょうか。

一般的な価値観が正しいとは限りません。不安な気持ちからつくられてしまった価値観や思い込みはたくさんあります。そういった固定観念を少しずつはずして、心が軽くなる方向を選択していきたいですね。

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