ひとりぼっちも素晴らしい【孤独感を手放した先にある自由】vol.1
こんにちは、スナオイロのナオコです。
今回は、『家族がいない』『友達がいない』『人間関係がうまく構築できない』といった、多くの人がネガティブに捉えがちな『孤独』について、わかち合いをしていきたいと思います。
『ひとりぼっち』って本当にネガティブなことなのでしょうか?
わたしも以前は孤独に対して、かなり強い恐れを抱きながら生きていました。
ですが 今のわたしにとっては、むしろ精神的に自由にしてくれるポジティブなものへと変化しました。
孤独で辛い気持ちを感じている方や孤独を恐れている方には、ちょっと耳が痛いとか、読んでいて心がギュッと苦しく感じてしまうようなこと、受け入れたくないと思うことなどが出てくるかもしれませんが、わたしの変化の体験談が、あなたらしく生きるヒントにつながればうれしいです☺
ひとりぼっちの今
以前にも書いたことがあると思いますが、今のわたしには 家族もいないし、友達もいません(電話番号は変えてないので 連絡を取ろうと思えばとれる状態。でも連絡しないし来ることもない)。
3年ほど前に親から逃げるようにして まったく縁のなかった地域に引越しをし、昨年秋に離婚をしました。子供もいません。
生活圏内に知り合いは一人もいません。
こんなわたしは、多くの人から『孤独で寂しくかわいそうな人』と認定されるかなと思います。
または、ダメ人間扱いする人もいらっしゃるかなと思います。
(あなたの思いたいように思っていただいてOKです☺)
家族も友達もいたのに孤独を恐れていた過去
小さい頃
わたしは小さい頃から孤独が本当に苦手で大嫌いでした。
寝ようとするときに聞こえてくる自分の音が嫌で嫌で、それが聞こえなくなるように手で耳を塞いだり離したりということを繰り返していました。
(親のケンカが聞こえてくる時も同じ対処をしてました…)
『自分の音』ってわかるかしら…?
たぶん血流と思われる ザーッという音です。
(検索したら、ストレスや身体の不調によって起こることがあるらしい。
耳鳴りの一種?)
なぜだか理由はわからないけど、この音を小学3,4年生くらいの時には『孤独の音』と自分で勝手に名付けていたんです。
「また孤独の音が聞こえる!やめてーっ!!」って。
声には出せなかったから、心と頭の中で叫んでいました。
自分から聞こえる音だから 逃げたくても逃げられなくて 苦しかったです。
ちなみに、今も自分の音が聞こえます。
今の音を言葉にするのはむずかしいですが 質が昔とは全然違っていて、聴いていると光に包まれて波長がととのうように感じられるので、『今ここの自分』を意識したいときに あえて聴いています。
人付き合い
若い頃のわたしは 自他共に認めるコミュニケーション上手で(と思い込んでいた)、男女問わず友達がかなりたくさんいました。
なのでスケジュール帳の予定はいつもびっしり埋まっていました。
家にいたくなかったというのもあるけど、当時のわたしにとって 予定が埋まっていることが人気者の証のように感じられて安堵感を覚えていたし、埋まってないときは「埋めないと…」という焦りの感情がありました。
恋愛では、「好きな人にはこうするのがふつうだよね!」といった自分の中での思い通りの言動を相手にしてもらえないと、ムッとしたり悲しくなったり別れたくなったり…。
と思いきや、自分の思い通りの言動をしてくれたときには「やっぱりこの人だ!」などと喜怒哀楽も激しかったです。
誰かと一緒にいて楽しくしているはずの時でも、わけもなく虚しさを感じて泣きたくなったりイライラしたり、孤独に怯えてしまうようなことはしょっちゅうで、それをごまかすために騒いだり、楽しんでいるフリをしていました。
孤独なはずなのに安定している今
ここまで書いてきたように わたしは孤独をかなり恐れて生きてきたのですが、今のわたしは 以前のわたしが一番恐れていたような孤独の状況にあります。
なのに、「寂しさ ほぼ0。ひとりぼっちも素晴らしい!」と心底思っています。
そして、50年ほど生きてきた中で、わたしは今が一番幸せで『精神的な自由・解放感・安心感』を感じながら過ごしています。
「今が一番幸せ」という思いは、過去のわたしだったら
「わたし、こんな風に思えるのよ、すごいでしょ!」
っていう強がりやマウント、承認欲求的なところからくるものだったんです。
でも、今のわたしは ナチュラルに「精神的に安定して満たされていて、一人っていいなー☺」という、しみじみと感じる穏やかな感覚です。
これは、わたしの家族・友達・元夫のことが「嫌いだから、憎いから。いなくて清々してる」という気持ちからくるものでもありません。
自分でも「本当に同じ自分なのだろうか?!」「転生したのかな?笑」と疑いたくなってしまうほどの違いがある、愛と豊かさあふれる世界です♬
結論的なところ
だらだら長くなりそうで、伝えたいことが伝わる前に飽きられてしまうかもしれませんので、先にわたしの今の結論的なものを書いておこうと思います。笑
(あくまでわたしの経験則からのものであって、すべての人にとっての正解ではありません)。
それは、本来、孤独は恐ろしいものではなくて、『「孤独は恐ろしいものだ」と植え付けられた思考=孤独感に囚われているだけ』だったということです。
この記事のタイトルを【孤独感を手放した先にある自由】としているわけですが、わたしは この『孤独感』を手放すことができたから、精神的な解放感や自由が感じられるようになったということです。
言い方を変えると、『孤独』に対する否定的な思考や固定観念を手放したということです。
『孤独=恐ろしいもの』ということが世の中の固定観念として当たり前のことすぎて、それによって自分の苦しみが生まれていることに気づいていない方も多いと思います。
わたしもそうでした(わたしは自分が苦しんで生きていた ということにさえ気づいていませんでした)。
vol.2 へ続きます
👆vol.2 では、わたしが孤独な状況になってしまったときに、そこで孤独に囚われ自暴自棄になることなく、深く自分と向き合う選択をしたことで、孤独な心が救われていった、そんな話を書きました。
なんで苦しいのかもわからない中で もがいている方でも、スーッと浮上できるような、手がかりになるようなことが書ければいいなと思っています。
拙い文章ですが、またどうぞご覧くださいませ☺
ありがとうございます! このnoteを良いな♪と思っていただけましたら、サポートをよろしくお願いいたします☺