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ひとりぼっちも素晴らしい【孤独感を手放した先にある自由】vol.7 孤独になって良かったこと

こんにちは、スナオイロのナオコです。

前回に引き続き、今回も多くの人がネガティブに捉えがちな『孤独』について、わたしの経験をわかち合いをしていきたいと思います。

今回は、わたしが『孤独のネガティブな感情をどのように消化・昇華し、ポジティブ方向に変容させていったのか』ということに焦点をあてて書いていきたいと思います。
vol.6までの内容と被るところもあるかと思いますが、ご了承くださいませm(__)m

※孤独になるように推奨しているわけではありません。

わたしの変化の体験談が、あなたらしく生きるヒントにつながればうれしいです☺

よかったら vol.1 からどうぞ👇



🔶孤独を体験して変わったこと

わたしは vol.2 で書いたように、元夫が家を出て別居した時期があったのですが、この頃の体験は、わたしの人生にとてつもなく素晴らしい影響をもたらしてくれています。

その中でも、自分の中の『孤独』と対峙したことは本当に大きくて、消えることのない わたしの精神的財産(わたしが今つくった言葉。意味伝わるかしら…)になっているなと思っています。

そんなわたしが孤独と向き合うことで得られた気づきの変化を書いてみたいと思います。

『🔹』が以前のわたしの状態で、それを自分なりに消化・昇華していったわたしの状態や気づきの変化を『👉』に書きました。


🔹1人の時間が圧倒的に増えて悲しくて泣く日々

当たり前のことだけど、1人で過ごす時間が圧倒的に増えました。
朝と夜も1人になり、土日も1人。
どこに行くにも、何をするにも1人。

最初の頃は、土日に出掛けるとスーパーでも家族連れが多いので、それを見て「幸せそうだな…」と羨んでは溜め息、虚しさと悲しさでスーパーとかでもうるうると泣いてしまっていました。

👉これからは自分のために時間とエネルギーを使おう!

「あれやっておいてあげたら喜ぶかな」「こういう話をしたら嫌がるかな」
「どうしたらギャンブルやめてくれるかな。良い情報ないかな…。もしかして、わたしが悪いのかな…」
「今日はちゃんと寄り道せずに帰ってくるかな」「借金増やしてないかな」
「生きてるかな…」

1人になったことで、「あの料理作ったら喜んでくれるかな?」と思っても「あ…、いないんだった…」となるんですよね。

それを何十回も繰り返して、ようやく わたしの頭と心の中が(元)夫のことばかりだったことに気づかされました。
しかもほとんどが『強い恐れの感情』と『元夫へのコントロール欲』でした。

そして、「(元)夫のために使っていたこの時間やエネルギーを建設的に自分のために使っていこう!」と徐々に思えるようになっていきました。

このような奥さんのことを「愛情深い人だ」とか、元夫に対して「奥さんに愛されてるんだね」というような人がけっこういらっしゃるかと思うのですが、わたしはこれを『愛』とは言えないと思っています。
そこを勘違いしてしまうから依存が悪化してしまいます。

わたしも当初は自分のことをとても愛情深い人だと思っていて、依存症の夫を見守る良い妻だ、みたいな…、そんな自分に酔いしれているところがありました。
依存症の家族を持つ人は、けっこうこのスパイラルに陥っていることが多いです。
気をつけたいですね☺


🔹精神的に落ち着かない、不安定な日々

前にも書いたけど、1人だと誰もなぐさめてくれないし褒めてもくれないから、情緒不安定で気力も出ない日々。

アファメーションやお経などを聞いたり唱えたり、なんとか潜在意識にポジティブな感覚を刷り込ませようと努力しつつ、自分なりに向き合い、セラピスト時代の知識を学び直していました。

👉自分軸で、自分の人生を生きていこう!

ふと洗面所で、「ハッ!! わたしは幸せも、不幸せも、すべて他人によって決められていたのか! わたしは自分の人生の舵を自分でとっていなかったんだ…。うそでしょ…」と気づいて愕然としました。

そしてドラマや漫画の一場面のような話ですが、身体の力が抜けて膝から崩れ落ち、暗闇の中でスポットライトに照らされる自分がいました(これ本当。笑。わたしの目覚めの瞬間なのかも…と思っている体験です✨)

自分の感情が、他者の影響によってガラッと変わってしまっていた自分に気づき、そしてその怖さにも気づかされました。

このことを機に、『他人軸で自分の人生を生きていなかったことを自覚』し、『自分軸』に意識を向けていくようになりました。


🔹他者をコントロールしたい支配欲うずうず

「こうしたらもっと良くなるのに…」「わたしは、相手にとって良いこと、正しいことを言ってあげているのに、なんでわかってくれないんだ!」と自分の思い通りにならないことに、怒りで悲しくなる日々でした。

👉自分の非も認められるようになろう!

自分自身が共依存症であることを認識したときに大きく立ちはだかった一番の壁が、この『他者をコントロールしたい支配欲』でした。

自分が思い悩んで苦しいなと思うとき、そこには、誰かを妬んだり、否定したくなったりする他者をコントロールしたくてうずうずしている自分がいることに気づきました。

それまで40年以上ずっと、『自分は正しい=自分の苦しみの理由は他者にある』と思い込んで生きていたのです(無意識に)。
だから、本当に謝らないといけないようなときに謝ることができませんでした。

良くないことで自分に責任があるようなときに出てくる言葉は「だって」。
「だってあの人が…」「だって仕方ないじゃん…」「わたしだって、やりたくなかったけど…」など、いつも言い訳とごまかしばかりをしていたことに気づきました。

自分の苦しみと対峙したことで、「自分の非の部分もありのままに素直に認められるようになっていこう」と思うようになりました。


🔹承認欲求のかたまり

わたしは承認欲求のかたまりで、自分の存在価値を自分で認めることができず、常に周りに良く思われたいという意識で過ごしていました。
そして、わたしは他者の価値も認めることができませんでした。
人を条件付けで判断する質が強かったのです。

👉自己価値も他者の価値も認められるようになろう!

わたしは、元夫と出掛けるときに着ていた洋服がわたしの趣味に合わないと、機嫌が悪くなったりしていました。
「この服を着ている夫と出掛けるのが恥ずかしい、わたしの価値も下がっちゃう…」あとから思えば、そんな感情でした。

ただ相手の服装が気に入らないというだけで、わたしの機嫌と相手の価値が変動していたんです。

このような話はありがちで、「わたしも!」「えっ、ふつうのことじゃん」という方もけっこう多くいらっしゃると思います。
でも、冷静になってみると、この感情ががふつうになっている世の中自体がけっこう恐ろしいことだなと思うようになりました。

自分のことも他者のこともジャッジすることなく、条件付けではない存在そのものを認められるようになろうと思うようになりました。


🔹犠牲的状況になるように自分で選んでいた

わたしは当時、出掛けるときには必ず結婚指輪をしていました。
「家出をされても わたしは健気に(元)夫の依存症回復を願う良き妻なんです」という悲劇のヒロインになって浸っていたんですね。

「こんなに頑張ってるのに…」という、他者から認めてもらいやすい犠牲的な状況になるように、潜在意識を設定していたんだと思います。

👉ありのままでOK!物欲が減少、動じにくい自分に!

自分と向き合っているうちに、「この指輪をつけていたい理由って、夫婦関係がうまくいってないとか、孤独な人だと思われたくないという劣等感からきているのかも…」とふと思いました。

試しに勇気を出して近所のスーパーに指輪をつけずに行ってみたところ…、
なんと!解放感が味わえてしまいました。笑
スーパーにいる人たちはわたしのことなんて知らないし、存在を気にしてもなくて…(当たり前なんですけど。笑)。

わたしは一人で勝手に悲劇のヒロインになり、勝手に他人がわたしのことを可哀そうな目で見ているという幻想の世界を生きていたんですね。

わたしはもともと洋服や雑貨などの買い物が大好きだったのですが、それはやはり他者から良く思われたいとか優越感を感じたい気持ちが強かったからなんです。

でも、この件から「他者からどう思われるか」という視点で着飾ったりすることがなくなっていったので、急激に物欲が減少して物が増えなくなり、節約にもなりました。

さらに、他者からの視線や、物に囚われなくなることで、「ありのままの自分でOK!」ということが腹に落ちてわかりはじめてきて、物事に動じにくくなっていきました。


🔶vol.8 へ続きます

次でこのシリーズ終わりにしたい…。笑
文章がなかなかまとまらなくて、本などを書かれている方、あらためてすごいなと尊敬する日々です☺

今回は、わたしが孤独とガッツリ向き合ったことで思考パターンや生き方が変化していった様子がわかるんじゃないかなと思います。

あなたの心に少しでもあたたかな光が差し込みますように✨
拙い文章ですが、またどうぞご覧くださいませ☺

ありがとうございます! このnoteを良いな♪と思っていただけましたら、サポートをよろしくお願いいたします☺