将来何になる?
【将来何になりたい?】と聞かれた時。
皆さんなら何と答えるだろうか。
僕ははっきりと答える。
『特に無いかな』
夢を持つことを否定はしない。むしろ素晴らしいものだと思っている。
なんなら僕も夢は沢山持っている。
ただ僕が『無い』と答えるには勿論理由がある。
何者にもなりたく無いからだ。
僕は将来もずっと『僕』で
ただ平和に楽しく生きている。
それがカメラマンだろうが、内装屋さんだろうが
誰かの助けるため仕事はするし趣味の手芸は続けていく、畑もきっとしてる。
料理をみんなに振る舞ってるかもしれない。
素敵に暮らして、みんなと豊かさを分かち合う。
僕にはそれが将来の夢であって、目標である。
・・・・・
この記事を書いたのは何となく思い浮かんだタイトルを書きたいと思っただけ。
『将来何になりたいの?』と聞かれ問いの解答が出ないまま悩んでいた過去の自分よ。
僕は今も『僕』として成長しているぞ。
『将来何になる?』の言葉は素敵なようで意外と残酷な自由の束縛な言霊だと思う。
小学生の頃に【サッカー選手】【野球選手】【プリンセス】【ライオン】など考えるのは自由だ。
中には多分【普通の人間】【社会人】と書いている子供もいるかもしれない。
その時に『もっと夢のあることを書きなさい』と言われたらどうだろうか。
『将来何になりたい?』と聞かれてるのに、何者かを選択できない子供達はきっと苦しむ。
選択の自由を束縛してはいけない。
将来も夢も変わらない。
自由なものでなければならない。
質問を素敵なものに変えるとしたらきっとこうだ。
『君は将来何をして生きたい?』