第二章~後編~:進撃の巨人:エレンとジークの選択に見る、選択が紡ぐ未来と多様性
※この記事は『進撃の巨人』を全て見た人を対象としています。
前回の記事をまだの方は、先にこちらの記事をお読みください。
今回はジークの「選択」に焦点を当て、子供時代の経験や環境が人格形成に及ぼす影響について考察します。
「最も平和的な選択だよね!」
と多くの方が考えるジークの「安楽死計画」について、
賛成も反対もできない複雑な感情を抱いています。
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ジークの決断はジークの決断ではない
ジークの決断に至った背景として、以下の三点が考えられます。
マーレ人によるエルディア人への迫害
マーレの圧倒的な軍事力
エルディア人の巨人化能力への恐怖
ジークは悲観的ながらも、エルディア人が「生まれてはならなかった者たち」と考え、平和な終わりを迎えるべきだと信じていました。
しかし、その解決策が「安楽死計画」であることは、エレンのように戦う選択肢を排除しています。
人格形成において、育った環境の影響は計り知れません。
ジークが夢や希望を持たなかったように、現状の最適解を求める行動は、彼の環境から生まれたものです。
しかし、現在のエルディア人が過去の罪を背負わされている状況や、安楽死計画がマーレ人にのみ利益をもたらすという事実には疑問を感じます。
私自身の経験からも、夢や希望を持って全力で生きることの大切さを伝えたいです。保育園から大学までの道のりで、自分が選択したことがないという経験は、ジークの選択と共鳴する部分があります。
次回はエレンとジークの考えを比較し、より良い選択肢がなかったのかを探ります。ご期待ください。
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