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犬がかわいすぎて理性を失いかけている
「やべ、お茶だ。それお茶でちゅよーーーーー」
ごはんの時間になるとまとわりついてくるふわふわの生き物のかわいさが異常だ。(異常なのは常時そのしゃべり方でしかもひとりで犬に話しかけているわたしである。)
リビングの家具を断捨離して空っぽの空間になってから、ローチェアと折りたたみデスクを仕事兼食事用として使っている日常であるが、笑えるくらい不便を感じない。
家で仕事をするならパソコン台つきの、たいそうなテーブルが必要だ!とわざわざ場所を取る上にそこそこの値段がしたはずの、あのL字のデカい板はなんだったのかというくらい、本気でいらなかったことを思い知らされる。
日本はもともと食事になると立てかけてあったテーブルの脚を広げてダイニングにしたり、夜はそのテーブルをたたんで押し入れから出してきた布団を敷いて、いとも簡単に同じ部屋をベッドルームに早変わりさせたりして、空間の使い方が天才だったと思われる。
服がやぶれたらそこに布を当てて、それがさらにくたくたになって着れなくなると、切れ端にしてぞうきんにしたりしていた。
いまでは道具ひとつひとつに限定された使い道しかないことがほとんどで、しかも壊れたら終わりの使い捨て。なにかとなにかを兼用で使えるかどうかとか、使えなくなったらほかの何かに使おうかなんて、あまり考えなくなったよなあと思う。この場所にはこれ、この道具にはこの用途しかありませんよ、なんて、なんて地球に優しくなくてナンセンスなんだろう。まったくもって資本と消費のためだけに存在している世界である。
いま世界で求められている持続可能な、エコでオーガニックでサスティナブルな生き方というのは、じつは昔から日本にあったじゃないかと、ひとつのテーブルを2パターンに使い分けている程度の分際でなんか高尚なことを考える。断捨離が趣味で人様よりも山ほどゴミを出しているはずのお前が、クリックひとつで次の日Amazonさんからふかふかのローチェアが届くのも、資本主義社会のおかげやぞ。
話が完全にそれている気がするけど、犬がかわいい話だ。
床で生活するようになると、ちまっと床で丸まっていただけのもこと同じ目線で生活することになり、立つかイスに座るかだけだったときよりも、思う存分わたしのまわりをウロウロしてくれるので控えめにいって最高だ。
冒頭のキモイセリフは、うっかり床に置いてしまったコップのお茶を飲もうと、もこが持ち前の食いしん坊を発揮した場面である。
この調子で毎日毎日
「どちたの?」(どうもしてない)
「今日はしゅじゅしい(涼しい)でちゅね」
「あちゅい(暑い)でちゅね」
「おちゃんぽ(お散歩)いくんでちゅか」
「なにくるくるちてるんでちゅか」
「ちょっとまってくだちゃい」
などとたちつてとの段を異常に多用しながら犬に話しかけるキモイ人間が爆炎しているのだ。まあまあ人には見られたくない。
犬を飼っているとみんなこんなもんなのだろうか。
愛犬家の友人が何人かいるけれども、こんなしゃべり方はしていなかった気がする。
まあまあ冷静になると、日本語でお願いします、と言いたくなるほどに犬がかわいすぎて理性を失いかけている。