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藤井風の「満ちてゆく」を見て泣きそうになった。


YouTubeで藤井風の紅白を見た。


走り出した午後も

重ね合う日々も

避けがたく全て終わりが来る


実のところ、わたしは「満ちてゆく」のこの歌い出しが大好きで、はじまりを聞いただけで泣いてしまう。


低音からはじまるゆるやかな音。


藤井風の声って身体の中でいうと、鼻の奥のつんとした場所に沁みるのだ。ちょうど涙が出るときに、痛む場所の。


NY,机に座る部屋から始まるカットで、たくさん写真の貼られたアルバムをぱらぱらめくる藤井風。おもむろにオレンジ色のマフラーを首にかけ、アルバムをバッグに詰めて歩き出す。


右手に持ったバッグをぼとんと落とし、部屋を振り返って外に出る。ちょっと名残惜しそうに。荷物は持っていない。マフラーひとつ。


「なにもないけれどすべて差し出すよ」で、最後に残ったマフラーも子どもにわたし、愛のこもったハグをする。さよなら、ありがとう、みたいにも見えるし、「与える」っていうことそのものにも見える。


なにも持たずにのぼったビルの屋上にはきれいな光がさしていて、歌い終わると倒れ込む。


身につけていたものをだんだん離して、死を連想させる演出と、最後に胸の上に置かれるオレンジの花。

これは死だけでなく、「還る」歌なんだろうなあと思った。

物欲、執着、きらきらした思い出。全部手放して、もともとのなにも持っていないありのままの自分に戻って、

だれかに与えると自分は満ちて、最後に与えたものが返ってくる。


手を放す 軽くなる 満ちてゆく


これだけは手放したくないって思って必死にかかえている荷物がどんどん増えるから、わたしたちは苦しくて


それを「もう放そうよ」ってゆるやかに笑ってくれる。そういう歌。


だから彼の歌を聞くだけで肩の力が抜けて、必死にかかえていた荷物を下ろしたくなって、ふわっと軽くなって、涙が出る。解放してくれるみたいだな、と思う。


藤井風の歌がこんなに多くの人の心に刺さるのは、必死に生きて来たけど「もういいんだ」って、荷物を下ろし始めている人が増えているからかもしれない。


手にした瞬間に
無くなる喜び
そんなものばかり追いかけては

無駄にしてた"愛"という言葉
今なら本当の意味がわかるのかな

愛されるために
愛すのは悲劇
カラカラな心にお恵みを


この歌詞が、いちばん痛いところに刺さるのは、いちばん大切なものを要らないと思って、要らないものを手に入れたくて必死になっていたなって思ったからで。

愛じゃないものを愛だと思って

愛をちゃんと向けられていたのに受け取らなくて。

最初っからいちばん欲しくて、大事なものって、ずっとあったんだよなあ。

無いと思って、ほんとうはあったのに見えなくて、勝手にとおーくまでわざわざ探しに行っただけで

ずっとあったことに気づいただけでも、少しは成長したんだろうか。

そんなことに気づかせてくれる藤井風はやっぱりすごい人だと思う。

あとで各所を見てみたら、生中継であのクオリティを一発撮りした演出を絶賛している人も多くて、技術面もものすごかったのかもしれないけど、歌詞と演出が全部リンクしているのもすごいなと思った。

あれを寸分違わずにできるって、本当にすごい。

ショートMVをもう一本作ってしまったみたいな完璧な世界観だった。

一足遅れたけど、余韻がしばらく抜けない気がする。

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