藤井風を語るだけの回
プロフィールに、思いっきり「すきなもの 藤井風」と書いておいて、藤井風の話をいっさいnoteに書いたことがなかったので書いてみようと思った。
自宅にテレビがないので、藤井風の存在自体を長らく知らなかった。
あらゆる音楽の専門家が、歌詞や曲の構成や声の音域を分析して、「彼は天才だ!!!」と息巻いていたとき、「死ぬのがいいわ」が海外でバズっていたとき、コロナで観客席にお客さんを入れられず、日産スタジアムでひとりだけのフリーライブをしたとき、モフモフのみどりのスリッパを履いて紅白に出たとき、つまり人気が右肩上がりの絶頂の時期、わたしはまだ藤井風を知るよしもなかった。
そのモフモフ紅白から2年たち、こんな浮世離れヤロウでもやっと藤井風を認知する機会に恵まれる。
インスタのリールで「UFO」を弾く学生時代の藤井風の動画を見て、「なんだこの人は…!」と頭をかち割られたような衝撃を受けたわたしは
とっくに世界の誰もが藤井風を認知しおわったあとで、「天才を発見した!!!」と嬉々として友人にUFOを弾く藤井風の動画を送りつけ、「藤井風を知らないなんて、あんたはどんな世界線で生きているのか」とつめたい返事が返ってきた。
知ってると思うけど (みんな君よりは前から知っているよ) UFOの動画が、マジですごいの。指がたんなる脳からの指令を受けた身体の一部として動いてないっていうかもう10本それぞれ意思を持ったひとつの生命体みたいにイキイキ鍵盤の上を飛び跳ねているっていうか、そう、生き物みたい。生命体。
「なんだこの人は。人間なのか?ピアノの申し子か?しかもなんて、楽しそうに弾きやがるんだ…」
YouTubeをすべてさかのぼって見漁り、iTunesですべての楽曲をDLし、日常はとたんに藤井風、一色。
「ピアノの弾き語りライブやらないのかな…!ピアノが聴きたい…!」
UFOが強すぎて最初は「ピアニストの藤井風」だけにしか注目していなかったのにもかかわらず、日本語の楽曲を聞いたとたん、さらに頭をぶん殴られたような感じがした。あれほどのインパクトを与えてきたUFOがかすんだ。
藤井風のなかでいちばん好きなのは歌詞。音楽もすきだけど、どうやったらあの音楽にあの歌詞を当てはめられるのかさっぱりわからないほどの奇才だけどそれでも歌詞。
その達観した、悟りを開いた歌詞である。
いったい地球での人生を何周したら、二十代の若者がこんな歌詞を書けるっていうんだろう。まるで人間界と天界を行き来しているみたいな。いちおう半分だけだけど、人間の経験もあるよ。みたいな。
とくに好きなのをいくつか載せてみる。
なにもかもすでに持ってるのにね。破壊力。
不足と欠乏感の中で生きていると思わされて、いつも足りない足りない言っているわたしたちに、「なにもかもすでに持ってる」ことを教えてくれる。
絶対悟ってるよね? 出身、地球じゃないよね?
いや!まつりは全部いいんですよ。ほんと。(小学生並みの語彙力)
メディアで耳が腐るほど流れてると思うけどいちばん好きな歌詞がここ!しびれる。
でもほんとうは全b
ちょっと疲れてるときにうっかり聞こうもんならかならず泣いてた帰ろう。
藤井風の死生観ははっきりしているのかなーと思っていて、この「帰ろう」とか、「花」とか。
うつりかわっていくものとか、諸行無常を一貫して歌っている。
死んだら何も持っていけないよね…なのに、なにをあくせくするんだろうね?
特にない。油断してぼーっと聞いてると不意打ちで刺さる。なんこの歌詞!これ!!!今なんて言った!!って毎回なる。さりげなく歌いすぎて聞き逃しそうになるけどすごい「そうやんな」ってこといってる。
何が大切なん? グサっ みたいな。
本当にその今にぎりしめてるもの、大切なものなんだろうか。大切だと思わされてるだけなのでは? みたいな。
「もうええわ 付き合ってあげれんでごめんね」
っていうとこもあるんだけど、ほんとそう!!ってなる。ああもうこれ以上この人には付き合えんわ、知らん好きにして、みたいなときにこの歌詞がブワッと浮かぶ。もうええわ好きすぎる。
息ができないのでノンブレスで語りましたが
なにかたいせつなものを無くしかけてるときに、
流されてただ生きそうになってるときに、
しぬほど刺さるんやろなぁ…
よこっつらビターン! 張られて
引き戻してくれてんのやろうな…
と思うような歌詞ばかりなのであります。
その甘い声とは裏腹に、優しく包み込まれて癒されるっていうよりは、
「ほんとそうや…なにを大事なもの見失ってたんやろ」って正気に戻りすぎて、頭かち割られて目が覚める、の方がわたしはいつも藤井風の歌詞を聞くときに体感として思うことです。
ええ、いまさら感あると思いますが、わたしが藤井風を知ったのは2023年冬なので、今この熱量で数年前の曲について語るのが周回おくれなのはわかっています。いるのだが2年ごときのブランクで聴き褪せるような楽曲じゃないからな。
すいません、藤井風のデビューは2019年のようですね。(調べた) 4年か。4年も知らんかったのか。まあそれはそれとして。
今年の日産スタジアムライブのYouTubeのコメントに、「2021年の日産スタジアムで彼はまだ人間だったけど、2024年は明らかにちがった。人間以外のなにか別の存在だった」と書いていた人がいたのだが、言い得て妙さに首をたてにブンブン振った。時を経るごとに彼はより人間離れした神々しさを放ち、進化しているのである。
それに見えた、というコメントが数名いて笑いながら納得した。絶妙すぎて言いたいことはわかる。それだけ神秘的ってことよね。(コメント欄が読むのめっちゃおもしろい)
藤井風を形容する時に、どうやっても「神々しい」とか、「神秘的」とか、「神聖」とかいう表現を使いたくなってしまうのは、そのまっすぐで、純粋で、人間離れした、俗世のものとは一線を画した存在に映っているからだと思う。
「愛しか感じたくない」という彼が見ているもの、見せようとしてくれている世界観をこれからもきっと追いかけてしまうのだろう。
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