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「誰か空いてる人いない?」という誘い方が嫌い

いついつやすみなんだけど、どこどこに行きたいんだけど

「誰か行ける人いない?」とSNSなどで呼びかける誘い方をする人がまえから好きになれない。

だれかと行きたいわけじゃなくだれでもいいのかよ、とその呼びかけを見るたび思ってしまうわたしはひねくれているだろうか。

「だれか」の中のその他大勢になるのがいやで、行きたかったとしても誘いに乗るのがなんか悔しい気がするし、たとえ気軽な気持ちでその人を誘いたい時も、名指しで誘うことがなかなかできない。わたしにとって「誘いたい」人でも、その人にとって「その他大勢」かもしれないからだ。
その温度差と距離感の食い違いが怖くて関わるのをやめてしまう。

人には外交型と内向型の人間がいて、この「誰か行ける人いない?」という誘い方を多用するのはほぼまちがいなく外交型の人間である。

外交型と内向型のちがいは、興味の関心が

外交型=外・人間関係・他者
内向型=内・自分の内面・自分自身

のどちらに属するかということであるが

外交型の人たちは誰かと繋がることや交流することそのものに、なによりも楽しさや重きを置いていて、そんなに深い話を好まない。場が盛り上がったり、一緒に楽しめるのなら実際「だれでもいい」節が少なからずある気がする。主語がいつも自分以外の誰かであり、誰が好きとか嫌いとか、だれかと何をしようかとか、周りの人への関心で埋められている。

ひるがえって内向型はというと、自分自身にしか興味がない。他人のことはわりとどうでもよく、自分のことについて考えたり、自分の好きな分野や好きなことを深めるのが好きである。推し活が好きなのも内向型が多い。誰かと交流したいと思うときは、その考えを共有できる人だったりする。当然、話題も深かったりニッチなものになりやすい。

外交型と内向型の人では、人付き合いの深さや温度感がまったくちがうので、基本的に相容れないと思っている。

内向型の人が誰かを誘うときは、「誰か空いてる人いない?」じゃなくて「あなたと行きたい」っていう誘い方なのだ。

いやいやそんなの皆そうじゃん!誰でもいいわけじゃないよと思うだろうけどまったくちがうのだ。広さと深さがぜんぜんちがう。

以前、外交型の人の「その他大勢」の距離感を守り続けようとした結果、思いついた時やなにかのついでに、気軽さを装ってしかその人を誘わなかったら、「大事にされてない」と判断されて関係を切られたことがあって笑ってしまった。
いつもはそんな誘い方しないのに、その人の距離感に合わせていたつもりだったというのになにもかも裏目である。

「みんないっしょに楽しめればいいじゃん!」という外交型の交流の仕方に比べて「分かる人同士でめちゃくちゃ濃い話がしたい」が内向型である。
そしてこの「みんないっしょに楽しむ」の距離感がこちらにとっては近すぎると感じたり、かといってちゃんと一対一で深いところまで話そうとすると、さほど中身がなかったりするので「話すことねえな」となったり、距離感に苦労したりするのだ。(外交型をディスっているわけではない。ちなみにフォローするなら向こうもまったく同じ噛み合わなさを感じているだろう。「話してみるとつまんねえやつだな」とか、「話が小難しくてわかんねえな、もっと気楽に楽しみたいのに」とかである)

わたしはゴリゴリの内向型なうえ、HSS型HSPというあまりありふれていない気質を持っているからよけいに思うが

「誰とでも共有できるあたりさわりがなくて浅い話」なんて、もともと持ち合わせていないのである。

「この人の話めちゃくちゃおもしろい!もっと聞きたい!」「この人と美味しいごはん食べながら話したい!」なんて思えるほど濃くてニッチな話ができる人は、実際片手で収まるほどだからこそよけいに思う。

「誰か空いてる人いない?」とSNSで流れている文字を見るのは嫌いだし、できることなら「明日空いてない?」と個別DMが来る方が好きだ。

でもたまたま呼びかけたら来てくれた人と、誰とでもその場を楽しめる彼らの性質がたぶんわたしは羨ましい。

ほんとうは、気軽に「今ここで飲んでるよ!誰か来ない?」とかいうストーリーをあげてみたいので、いつか勇気が出た時にやってみるかもしれない。

し、やらないかもしれない。

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