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わたしは交流のためにSNSを使ったことがない
最近犬と一緒に行けるカフェやホテルなどの検索魔になっており、インスタで片っ端から
良いなー、すてきだ!ここ行きたい!
と思うような場所をフォローしまくっていたら、そして実際に来店したり利用したりしてみたら
あちら側からもフォローしていただけたり、交流をしていただけるようになった。
予約はDMで受付されていたり
まだ利用する前から
「フォローありがとうございます」
「ぜひ来てくださいね!お待ちしております!」
などとあたたかくて親切な言葉をDMでいただいたりする。
利用したあとも、していないときも、その後もSNSでの交流は続く。
すごい。
わたしはこれにとてつもなく感動した。
昨今はSNSを連絡先がわりにして交換する文化もあるけど、プライベートの友人同士でたわいもない写真を上げてコメントしあうクローズドな文化が終わりを告げて、あらゆるSNSが商業化してからというもの、わたしは正直SNSを交流するために使ったことがなかった。
SNSとは、
たんなる情報を取る場所
であり、
ホテルやカフェのアカウントをフォローするときは、まるでじゃらんや楽天トラベルで気になった場所をブックマークしているような、メーカーとユーザーの距離を保った心構えだった。
YouTuberやインフルエンサーや有益な情報を惜しげもなくくれているアカウントだって、自分が勝手にその情報を受け取ったり、その人に触れていたいから一方的に見ているものであって
相互フォローや交流
といういちユーザーに働きかけてくれるような双方向の関係性がプライベートアカウントでもないSNSとのあいだで繰り広げられるとは思わなかったのだ。
田舎に引っ越して人同士の距離が近くなったこともあるけど、
こんなふうに、たんなるユーザーのひとりとしてじゃなくて、ちゃんと名前を認識して、人と人との関係性のうえにサービスを提供し続けてくれるってなんかすごいなと思った。
なんでそんなことができるんだろう。ひとりひとりへの愛情、深すぎやしませんか。と思った。
都内暮らしで、その他大勢の中に埋もれて、自分が顔の見える誰かじゃなくていい期間が長かったわたしは、なぜかものすごく感動した。
そうか、SNSってひとりにひとつずつあって、双方向に交流もできるんだよな。
と、急に思った。
一方的に見て、一方的に聞いて
一方的に影響を受けて
そして自分も言いたいことだけ言って、
書きたいことだけ書いて
それがどういう人に、どんなふうに届いているかとかも、わたしにはぜんぜん関係がなかった。
なんか考えてみたら無機質だな、と思った。
最近いろんな場面で、前は感じていたはずの垣根がなくなっていくような気がしたり、埋もれたままで顔も名前もなかった自分の輪郭が、まわりの人たちによってはっきりしていくような不思議な感覚に陥っている。