好きなものくらい、好きって言えば良いじゃん
アップルミュージックの整理をした。
わたしはそんなに音楽が好きではない。少なくともそう思っていた。
「音楽何聞くの?」と聞かれて、テレビでは流れないようなおしゃれな洋楽とか、知る人ぞ知る自分にしか良さのわからないマイナーなバンドとかを答えられる人たちがなんかすごく羨ましかった。
親が音楽好きで幼少期から音楽を聞いて育ったり、DJイベントを主宰したり、バーを経営していたり、クラブにいくのが趣味だったり、野外フェスでザ・音楽なイベントを楽しむ自称音楽好きな人たちは、いつも自分たちにしかわからないおしゃれげな音楽を聞いていて、そういうものを好きになれる根っからの「おしゃれな音楽を好きになれる環境に身を置いてる人たち」がなんとなく羨ましくもあり、かっこよく見えた。
自分もそういう人になりたくて、クラブやDJイベントに行くことが楽しいと思っていた時期もあった。(ぜんぜん知らない歌しか流れないのに)
今思うと、別におしゃれな音楽が聴きたかったわけではなくて、わたしはその人たちが自分にしかわからない「独自の世界観」や「自分」を持っているように見えて、それが羨ましかったのだ。
自分にはそういうのがないと思っていたから。
そして、好きなものについて堂々と「好き!」と語れる彼らのことがとても羨ましかった。
劣等感を抱いていた気がするし、彼らのようにはなれないと思っていた。
別に音楽の好みなんて人それぞれだし、なる必要もないのに。
今考えると意味不明だなと思う。
カラオケに行けば流行りの歌はほとんど歌えたけど、ミーハーでみんなが知っているような邦楽しかほとんど聞かない自分は、「音楽が好き」と人に話すような人種ではないと思っていた。
カラオケで何を歌ったら喜ばれるか、盛り上がるのかばかり考えていた。
好きなアーティストもいたのだが、とにかく昔は劣等感の塊すぎて、自分が好きなものを誰にも打ち明けられなかった。
おかしいと思われたらどうしよう、とか、そんなのが好きなの?と思われるのがイヤで。
知らねえよ!勝手に思わせとけよ!と思うのだが。笑
そんなこんなで、あまり音楽の話をしたくなかったし、アップルミュージックに無作為に突っ込まれたプレイリストも、ぜんぜんおしゃれに感じなくて好きじゃなかった。
「おしゃれなもの」への執着がちょっと病的すぎる気がする。笑
長らく自分のiPhoneの中の音楽になんて興味もなかったのに、最近になってふと何の気なしにアップルミュージックをランダム再生してみたら、あれ?このプレイリストなかなか良いな、エモいな、と思うようになった。
わかってるねー!!最高の選曲だ!!と。
(何を言っているのかと思うだろうが、自分で好きでダウンロードしたんだから当たり前だ)
すっかり気を良くし、昔ハマっていたものとかをアルバムごと大人買いしようかなーなどと、iTunesを眺めていると既に「購入済み」になっていてライブラリに追加できないものがあった。
昔購入したはずなのに、ライブラリから削除されているのだ。
情緒が不安定だったころ、あまりよくない思い出の詰まった音楽を聞くのがイヤでプレイリストを一掃したり、誰かにプレイリストを見られた時に何かを言われるのがイヤで、おかしくなさそうな曲だけ残して自分の「好き」を封印したことがあったことを思い出した。
どこまで他人軸なのかと思う。
誰かに何かを言われる、の「誰か」って誰だ。
たぶんそれをいう人がいたとしても、今のわたしにはきっと必要のない人のはずだ。
削除してしまった曲たちを一曲一曲掘り起こして、再ダウンロードし直した。
ジャンルもバラバラだし、すぐ飽きたのもあるし、今は会わなくなってしまった人との辛い思い出が詰まったものもあるし、なんでダウンロードしたんだかよくわからないものもたくさんあったけど、今聴くと不思議と全部好きだった。
「昔の自分が大好きで聴いていたもの」
として、それらをまるっとiPhoneの中に詰め込もうと思った。
誰かに今後、「音楽何が好きなの?」と聞かれても、きっと堂々と答えるんだろうな、と思いながら。
好きなものくらい、別に堂々と好きでいれば良かったんだ。
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