曖昧な若さで突っ走ることについて。
このままじゃダメだ。と思ったので書き始める。
1年と少し前。一昨年の11月からのこと。
わたしは分かりやすく心に風邪を引いていた。
原因はなんだったのか、それは4度目のことでもはっきりとは分からない。
とにかく力という力が尽きて、感情も湧かず、暗闇にすっぽり包まれたように、身じろぎも出来ず1日のほとんどをベッドの上で過ごした。
チョコレートやパンををむさぼるように食べた。
とはいえ、3月になる頃には良くなった。
(今年はまぬがれたけれど)季節性のものかもしれない。
その冬から、原因のひとつとして燃え尽き症候群かしら、と思ったわたしは、自分をセーブすることを覚えた。
そして、今。だ。
何だこの有様は。
今日になるまで気づかなかった。
ネットサーフィンに興じ、課題として与えられたものもスルーするクセが付き、学校の時間を「つまらなく、逃げたいだけの時間。」と捉えてる。
ここまで現実から逃れようとするクセを無意識に付けていたとは。
単純にショックだ。自分なりに世界を捉えようとしていると思ったのに、
気づかないうちに
世界=自分のこと
へとすり替わっていた。
自分の欲求を叶えるためだけに時間を過ごした。
ああ、現実と言うものの重みにびっくりしている。
いつでも変えられるものは自分しかいないのに、自分じゃないものへの不満しか見つめていなかった。
わたしは、なにをしていたんだろう。
自分を癒す、というものの陰に隠れて、どれだけ自分を誰かに合わせて、売り渡して楽ばかり求めていたんだろう。
多分、
現実はユートピアじゃない。
人生は1日1日を積み重ねることでしか変わらない。
ってことばかり見つめて、希望が自分のなかに見つけられなくなって、
そして風邪を引いたんだろうな。
希望は自分のなかに探すんじゃなくて、誰かとの間なら見つけやすいよ。
わたしは、自分の未来を明るいものにしたくてここまで来たんじゃなかったか。
とにかく、歩き始めよう。
考えることを止めてしまったら、誰かの奴隷になってしまうよ。
言葉は、道具と一緒だ。使ったり触れたり磨いたりしなければ、古びて、錆び付いて、腐って、やがては使えなくなってしまう。
もう、わたしは、元気です。
少々の波風じゃ転覆しないはずよ。
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