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HAPPINESS IS SIMPLE

クリスマス・イブにアバター(アバター2/ The way of Water)を見に行った。

初めのシーンで、パンドラという惑星に住む、アバターや原住民の、自然に囲まれた家族の日常を通して、何度もナレーターが私たちに伝える。

Happiness is simple

ほんとうにそうだ。


映画のあとで、家族、友人と我が家で夕食を済ませ、ダイニングテーブルでたわいのないゲームをやった。

ただ、それだけのこと。

Happiness is simple

この日常の幸せの奇跡は、あまりにもシンプルで、たいていの人は気づかない。

Happiness is simple

若いころ、こんな言葉を聞いたこともなかったのは、どうしてなんだろう?
いや、聞いていたはずなのに、私は耳も貸さなかったのだ。
もしも、その言葉の意味を深く理解していれば、もっと楽に生きて来られたかもしれない。
「もしも」、なんてないけれど。

母は私にしみじみと言ったことがある。
「平凡が一番いいのよ、
家族が元気で毎日過ごせれば、それで十分なのよ」

幼かった私は、それを聞いて、気が遠くなりそうになったものだった。
この長い人生を、平凡だけでは生きていけないと。
内向的で、外出を好まない母らしいと思った。

けれど、結婚してから義母も私に言った。
「みんなが笑って暮らせれば、それでいい」
彼女は、好奇心と、冒険心が旺盛で、出歩くことが大好きだった。



思えば、小さい頃から、ずっと周りに認めてもらうために頑張って、そして何よりも自分が、自分を認められなくて、頑張ることを辞められなかった。
たいていの場合、「今」という瞬間は、「未来」への投資として使われた。
10年前に、父が亡くなったとき、私は、もう何かを達成しても、父に褒めてもらうことはないのだと思った。

私の娘は、昔から頑張り屋だった。
末っ子だから、私は彼女を一番自由に育てることができたと思っていたのに、彼女は自分にとても厳しい。
勉強にも、学校の後のクラブにも、モラルにも。

娘の普通は、他の人のスタンダードから見ればすでに「頑張っている」レベルなのだから、頑張らないでね、と私は、今も彼女に伝える。

出来ていないことよりも、出来ていること、ないものよりも、与えられているものに目を向けてね、と。
そう、あなたは今のままので十分。それは、現状維持ではない。花も木々も、努力なしにぐんぐん伸びる、花を咲かせる。自由に、のびやかに。

それでも、私たちは、何かに追い立てられるように、不安の対処として、頑張ってしまう。

対処したって、一時的には解決されても、それはまた、次の不安を呼ぶだけなのに。

満たされた心が持続されるには、どうすればいいのだろう?
心に幸せの源泉を溢れさせ、いつもそこから言葉を放ったり、行動を始めるには?

私たちは、何があっても、又はなくても、満たされていることを感じ続けるには?
目の前に起こる現実と、ありのままの自分に抵抗することなく、それらを受け入れ、愛し続けるには?

心という青空に、様々な思いという雲が行き交うのは、仕方がないことなのだ。それが、心というものだから。


映画のアバターは、息をのむような美しい光景と、目を背けずにはいられない、自然への破壊のコントラストによって、見終わった後の私の心に大きな印象を残した。

Hapiness is simple、
このメッセージが、ずっとなり響いている。


映画のように、これまでの多くの、自分にとって幸せと思える体験や、そうは思えない悲しみの体験のコントラストが、このメッセージを私に与えているのだと思った。

母や、義母が私に伝えてくれたのは、そういうことだった。

Hapiness is simple




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