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歩いてますか?~50代のエイジング

週に2度は一緒に、丘のトレイルを歩いていた友人が、夏の間、アラスカへ行ってしまって、私は怠惰になった。

友人は、去年、小学校の先生という仕事からリタイアした。
この夏3か月ほど、アラスカで、ホテルの受付、というシーズナルな仕事を見つけて旅立っていった。戻って来るのは9月の半ばだ。

ホテルの受付をしながら、休日には アラスカの自然の中を歩いて来るわよ!
カメラの性能を当てにした、スマホのアップグレイドを済ませたことも私に告げて、彼女は鼻の穴を膨らませた。

彼女の帰りを待っているつもりはないけれど、彼女なしであのトレイルを歩くのは億劫な気がしていた。

近所の湖はひとりでも歩きに行っていたけれど、夏のあいだは歩道は太陽にさらされて、もっと億劫だった。

ジムももう解約しよう・・・、なんだかさっぱりモチベーションが上がらない。

去年、サハラ砂漠を100キロ歩いたことなんて、すっかり過去だ。

でも、また行きたいと思っている。

夏はお店が忙しい。

客足が多い、ということもあるけれど、スタッフが夏休みを取るので、私はお店に出る回数が多くなる。
なのに、痩せないのはどういう理由か、
といつも思う。

外を歩くと、なにがしのカラダへの効果は感じられるのに、週末は店の中を これでもかというくらい歩いても、すっきりしない。

なんだか、このまま体重増加していく気配しかないので、いっそのこと体重計にのってみることもやめた。


それがある日、海外に住んでいる友人が、彼女の実家のあるこの町に、数日ほど帰って来た。

「丘のトレイルに歩きに行こう」
とメッセージが入った。

実に2か月ぶりの「歩き」で、
私は、どんなに自分の体力が落ちていたかを思い知った。

同い年の友人は、ダンスのインストラクターをやっている。動きが身軽で、1時間半弱の行程を、私は何とか平静を装って彼女の後をついて行った。

そんな経験があって、私は一人でもトレイルに行き始めた、
なんてことはなく、

仕事の多忙を理由に、休みの日でものんびり過ごし、いつものようにスパークリングワインをフルーツと一緒に遅いお昼に食べていた。

夫が庭で寝そべっている私の横に、炭酸水を片手にやって来て、たわいもない話しを始めたとき、
何かの流れで、彼の祖母の話になった。

サヨさんは、着物の似合う、豊かな白髪の上品なおばあちゃんだった。

私は夫の、日本にある実家で3年ほど過ごしたことがあって、おばあちゃんも一緒に住んでいた。
私がそこに住み始めて2年目に、サヨさんは年齢のせいで、どんどん弱り始めていた。

夏用の布団でも、「重い」、と言い、
グラスも湯飲みも重くて、小さな紙コップを使っていた。

年をとると、何もかもが「重く」なっちゃうんだ、

私は時々、サヨさんのほっそりとした白い手を取って、爪を切ってあげながら、そう思った。

まだ20代だった私は、エイジングの知識などさっぱり持ってはいなかったから、彼女を見て、年を重ねることについて教わっていたと思う。

しばらくしてから、病院に入り、半年も経たないうちに亡くなった。
どういういきさつで病院に入り、亡くなった理由も忘れてしまった。
ただ、静かな終わりだった記憶だけがある。

そんな思い出話を夫としながら、ふと気が付いた。

私が夫の実家にいる間、私はほとんどサヨさんが、外出している姿を見たことがなかったことに。
外出どころか、彼女は食事のときだけダイニングに出てきて、あとは自室でずっとテレビを見ていたのだった。

それを夫に確かめると、
「うん、ばあちゃんは出かけるのが嫌いな人だったんだよ。ずっとそうだった。」
と答えた。

私は、彼女の白い手を思い出した。
お嬢様の家柄だった、とは聞いていたけど、
最後まで、煩わしいことからは離れていた、お嬢様の「手」だった。

サヨさんの「重い」の原因は、運動不足による筋肉の低下。

それを知っていたら、
私は、サヨさんを引っ張って、散歩に連れ出していたのに!
(分かっている、きっとそんなことは出来なかった。彼女は頑なに拒んだに違いない)

私はやっと、アラスカから友人が戻って来るのを待たずに、丘に続くトレイルをひとりで歩き始めた。
このトレイルは、木々に縁どられていて、その全行程の殆どが 日陰なのが夏にはありがたい。

丘の頂上では、町が一望できる。

紙コップの暮らしは、年を重ねたことだけが理由じゃなかったんだね、

サヨさんのエイジングへの謎が解け、
私は、彼女の線の細い笑顔を木漏れ日の中に思い出し、歩いている。

アラスカに歩きに行った友人の話はここでも。


あの砂の上を、また歩きたい。


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