日本滞在記・「何が食べたい?」
3年ぶりに戻った日本では、会う人、会う人が聞いてくれる。
「何が食べたい?」
カリフォルニアに引っ越して長いので、もう特には食べたいと切望するものもなくなった。逆に、このひと月の日本滞在で、カリフォルニアの食事が恋しくならないだろうかの方に、気がいっていたくらい。
けれど、広島に戻ってからは
「小イワシのお刺身!」と即答する。
瀬戸内海のそばで育った私は、季節になると、兄弟と網を持って、桟橋に駆けつけた。
あの頃、小イワシは面白いように採れた。
バケツ一杯に持って帰れば、母がそのアタマと内臓を手でちぎり、何度も何度も流水で洗う。私も手伝った。
小イワシは、「洗うほどに鯛の味」なんて言われていた。
子供の頃は刺身より、天ぷらが好きだった。
母は 季節の終わりには、5センチほどの小イワシを下ごしらえするのに ついには飽きて、私たちに もう、取って来ないでと言うのだけど、近所の人からも、大漁のお裾分けは続いていたっけ。
叔母は小イワシを乾かして、煮干しを作ってはアメリカに帰るたびに持たせてくれた。
小さい頃から味噌汁の出汁は、昆布と煮干し。
それは結婚してからも、変わらなかった。
カリフォルニアで、お店を出した時に、ベジタリアンの人も食べれるようにと、味噌汁の出汁を干し椎茸と昆布にした。すると、それを食べた私の子供たちが
「ニセモノの味噌汁だ」
といぶかしんだっけ。
広島の実家に帰った翌日に、友人が小イワシと、鯵の刺身を持って来てくれた。
小イワシが取れるのは、夏だけだから 無理かなと思っていたのに、ぎりぎり間に合った!
生姜醤油をつけて、頂いた。
学生の頃から通っている、友人の母が切り盛りしている居酒屋では、私の顔を見れば、メバルの煮付けを出してくれる。
そのお母さんは今年、82歳になると聞いてびっくりだ。
私たちは夜中1時過ぎまで飲んで、話し込んでいたのに、彼女は厨房で洗い物や、翌日の仕込みをしながら、時々話に混ざって私の帰りを喜んでくれた。学生の時と変わりなく、集まって笑い転げる私たちを祝ってくれた。
地元に帰るたびに繰り返されてきたこの光景が、当たり前ではないと、最近ではしみじみと感じる。
そう、私たちはみんな、確実に年を重ねている。
日々の出会いは、奇跡的なことだと私たちは知るようになった。
幸運なことに、私の学生の時からの友人のほとんどが、今は地元に住んでいる。
だから、実家に戻りさえすれば、友人達がそれぞれに、差し入れをたずさえて訪ねて来てくれる。
栗きんとん
栗ごはん
焼き芋
百合根の入った茶碗蒸し
銀杏の炊き込みご飯
酵素玄米とごま塩
学生の頃、通っていた喫茶店のパスタソースのお持ち帰り、(まだ営業していた!)
それらは、私も気づいてなかった、私の食べたいものだった。
友人たちが、私のために、あれこれと考えて持ってきてくれた差し入れ。
自分では気づいてなかった、欲しいものを差し出された時の、驚きと、喜び。
そうそう、これ!
これが食べたかったのよね、と声に出る。
広島駅裏で開催される、酒まつりに行こうと、みんなで約束していたのに、結局うちで家飲みになった日。
私は久しぶりに、大鍋でおでんを煮た。
友人達がやって来て、
「あれ、お祭りの匂いがするよ」と言う。
地元では、秋祭りにおでんやちらし寿司を作る。
気がつくと、その日は、通常であれば地元の祭りの日だった。
去年、おととしに続き、中止だったけど。
誰かが昔の写真を、スマホから引っ張り出してくる。
「ねえ、私たちって、会えばお互い変わってないねって言うけど、写真を見たらやっぱりこの頃は若いよね!」
そんな当たり前のことを、写真で確認して めいめいが悲鳴を上げて、笑い転げた。
ついに4年後に迫った私たちの、還暦のお祝いの計画を決めた後で、誰かが言った。
「ねえ、4年後まで待つ必要ある?来年にしようよ」
本当は、一か月後でも良かったんだろうけど、来年も戻ってくる予定でいる私に合わせてくれた。
でも、ほんと、その通り。
楽しいことは、早い方がいいに決まってる。
4年後なんて、どうなってるかわからない。
4年後は、もっと楽しいことをやったらいい。
60歳のお祝いに、赤いビキニを買おうかな。
結婚式に着た赤いドレスをもう一度着たいの!
若い頃の写真を見て、現実を知ったあとでも、私たちは負けていない(笑)。
というわけで、
みんな、また来年。