手を合わせる~お墓について思うこと
この秋の帰国では、神社やお寺を案内されることが多かった。
大きいところでは、出雲大社、そして比叡山。
当たり前ではあるけれど、そこで人々が手を合わせる姿をたくさん目にした。
そしてその姿はなんて美しいのだろう、と行く先々で思った。
私個人では、両親と、親戚のお墓も訪ねて手を合わせてきた。
そして、手を合わせられる場所があるとは ありがたいものだとしみじみと感じた。
お墓に 両親がいるはずもないことは承知していても、南無阿弥陀仏と彫られた墓標の前で お線香を手向け手を合わせていれば、自分の中心が すっとやわらかにひとつになるようだった。
そこには、両親の懐かしい波動も一緒だった。一緒に暮らした実家の、あの畳に夕陽が当たる光景が心に浮かんだ。
そういえば、私の母は、「手を合わせることを学んで欲しいから」という理由で、私をお寺の幼稚園へ通わせたんだった、ということを思い出した。
私の祖父母は信仰深い人達で、京都の西本願寺に分骨されていて、やはり信仰の深かった父に、同じようにしたいかと、生前に聞いたことがある。
きっとそうしたいはずだという、私の思い込みをよそに、父は言った。
お墓は 残された人のためにあるものだから、おまえたちの好きにすればいい、と。
今、両親の墓は 実家から40分ほど車で行った、弟の家の近い場所にある。
弟とその奥さんは マメに足を運んでくれていて、
しかも、私が地元に戻れば、お墓まで気軽に車を出してくれる。
自然葬や散骨といった従来の墓とは異なる埋葬方法への関心が高まっている。
私は、現在の心境としては、自身のお墓はなくていい、と思っている。けれど、今回両親のお墓参りをしてみて、自分の考えとは別に、両親のお墓があることに感謝した。
私の友人は、生まれ育った西海岸のカリフォルニアから、反対側の東海岸に数年前に引っ越した。
彼女の家族は散り散りになっていて、私の住む町にある、彼女の母のお墓にはもう、誰も行くことはないのだと聞いて、私が代わりに行くわよ、と提案した。
彼女の母の命日は、クリスマスの2日前だった。
私は毎年、その日に墓地に行き、簡単な掃除をして、お花を添える。
準備ができるとインターネットで彼女と繋がり、お墓を映し出しながら、しばらくの間、一緒に過ごす。私は彼女が話し出すまで、ずっと静かにしていて、心の中でそっと手を合わす。
私は14歳だった彼女が、クリスマス直前に最愛の母を失くさなくてはならなかった運命に、畏怖を感じてきた。
当時の彼女に、想像の中で寄り添おうとしても、何も言葉が見つからない。肩に手をおいて、触れようとしてもはばかられた。それがいったい、何になるというのだろう?
だから、今、こうして彼女の母のお墓の前にいるのだろうかと、ふと思った。
携帯電話のスクリーンを通して、今もなお、彼女が涙を拭っているのを見た。
そして、14歳の時、母を失ったときから空いてしまった大きな穴と一緒に生きてきたのだと、打ち明けてくれた。
お墓はそういった言葉を 私の大切な友人が吐き出すことのできる、きっかけになってくれた。
2年前に亡くなった叔母のお墓にも、今回手を合わせることができた。
初めて訪ねる、その墓所までの川沿いの道を歩いた。
親鸞聖人の大きな銅像のある墓所に辿り着くまでも、
その帰り道も、
手を合わせるという私の所作が 道のりにも現れるように感じた。
それでも、私も、父と同じように、いつか子供たちに伝えるだろうと思う。
お墓は、残された人のためにあるものだから、好きにしたらいいよ、と。
私たちは、呼べばすぐにそこに行ける、自由な魂になるのだから、どこででも私を呼んで、手を合わせてくれればいいよ、と。