ときには無計画に、自由に歩こう。
こんにちは。今回は「計画」について。
諸君、私は散歩が好きだ。
……と、いうことで今日はまず散歩、それもルートや目的を事前にきっちり設計しない散歩から内省を深めていきます。
例えば、私は以前「海辺に行きたい!」と思い立ち月島あたりに出てみたりしましたが、もんじゃを食べることはありませんでしたし、その後ぶらっと豊洲まで移動してさらに海岸を歩いたりもしました。うーん、無計画。
この過ごし方に対して「月島行くならもんじゃを食べないと」とか、「せっかくの休日を無計画で過ごしていいのか」みたいなツッコミも可能かと思いますが、私としてはこれで良いんです。
もちろん、細かく計画を立てて歩くことも、その日の活動密度を増やす意味でとても良い過ごし方の一つだと思います。
遊んでいられる時間が有限で、あれもこれもやりたいことが多すぎる、と強く意識している場合は特にその効果が際立つでしょう。
計画に縛られる過ごし方
しかし、そもそも「計画する」ことは常に必要なものなのでしょうか。
前述の通り、やりたいことが明確、動ける時間がタイトなどの状況であれば、計画は目的達成の強力なツールになるでしょう。
ただし、事前に計画することは、計画外の動き・計画に従って過ごしているときの自分の判断を抑えることでもあります。
ふと目を向けた景色が気になりゆっくり見る時間を取りたいと思っても、次に計画した予定があるとなれば、その場に留まることは難しい。
計画として「3時間ぼんやりする」を確保しても相応の時間制限意識は残りますし、「この予定は1時間で十分で、以降はなんか無駄にした感があった」と思うこともあるでしょう。
無計画もたまには
これが最初から無計画であれば、時間配分やルート選択までその時の自分の感覚を活かして行うことができます。
時間をうまく使えなかった・準備しておけばよかった、と思うことはあるかもしれませんが、計画に縛られて不自由だった、とは思わないでしょう。
どうせ仕事では計画・時間に縛られて動くのですから、プライベートの日の半分か1/4くらい、無計画に過ごすのはアリではないでしょうか。
……というところで今回の記事は締めたいと思います。