自己犠牲することで円滑さを保つという矛盾
こんにちは。今回は「自己犠牲」について。
自己犠牲よくない、を言い続ける
自己犠牲については3週間前、9ヶ月前に記事にしているようですが、今回はまた別の切り口から自己犠牲を否定していきたいと思います。
今回は自己犠牲で大きなことを成し遂げた後に欠勤・退職などの大きな反動が生じた場合、それを周りが見たらどう思うかについてです。
自己犠牲して成し遂げた側としては「もうゴールしたからいいよね……」と思うかもしれませんが、それを突然言われた周りは困惑するのではないでしょうか(事前に計画していた場合は除きます)。
なぜなら、自己犠牲するほど大きなことを成し遂げたのであれば、その後周りはそれを褒めたいし、認めたいし、後始末や今後のさらなる大きな課題に巻き込みたいわけです。
それを突然「反動でしばらく休みます」と言われた場合、その全てが宛先を失ってしまいます。困惑します。
せっかく頑張ってことを丸く収めたと思っていても、それがすぐに壊れてしまっては元も子もありませんね。
成し遂げて終わり、ではない
何かを成し遂げた後、自己犠牲などの無理をしている人と、頑張りすぎずに素のスペックでやっている人の差が出てきます。
基本的に私は「環境が円滑に回る」ことを最重要と考えていて、そのために自己犠牲、負担を背負い込むことを色々とやってきました。
しかし頑張りすぎることは一見円滑に回しているようで、環境の一部である自分自身に過負荷をかけている状態です。
そしてあなたが消えた場合、その「過負荷」は突然別の誰かが背負うことになる=環境が円滑に回る状態を害する結果になるわけですね。
過剰な品質の成果物、過剰なサービスなどはその最たるものでしょう。受け取り側は何も意識せずこれが標準だと思っているのが、ただ一人の社員が抜けただけで「できません」となってしまえば、利用をやめることも視野に入ります。
成し遂げたことがかえってマイナスに働いてしまうことなど誰も望んでいません。だからこそ、持続可能な頑張りと、普段からの負荷分散が重要になります。
円滑さが最重要なら
では、円滑に進めるための「持続可能な頑張り」として、私達はどのように、どれくらい頑張るのが適切なのでしょうか。
私は基準となる点数ギリギリを長期間安定して取ることだと思います。
100点、120点を取る必要はなく、80点が基準なら常に81点くらいを取り続けることが重要、という話です。それが自分の負担になるなら、それは周りのレベルが高すぎるかもしれません。
そもそも基準となる点数は下回ってもいけない一方、大きく上回ってもいけない場合も少なくありません。
想定外に高い点数を取ってしまえば、それに合わせて環境側が計画を変更することにもなりかねませんし、自己犠牲でそれを支えていた人が退職となれば、計画修正の手間が再度かかることになります。
円滑に回すということは滑らかに回る円を描くこと、そのためにどこにも過負荷がかからないようにすることと言い換えられるかもしれません。
つまり、自分にも他人にも環境にも、過負荷を押し付けてはいけない、というわけです。