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ひとを粗末にしたくない

心について、
最も治りが遅い傷は、深い裂傷でもなく、複雑な骨折でもなく、自分で自分を曲げた傷のきおくなんじゃないかって思う。

ひとを、粗末にしたことがある。

その時は、気づかなかった。
その時は、余裕がなかった。
きっと許してくれると思った。

そういう、もたれかかるような気持ちがある。
それ自体はきっと悪いことじゃないこともあるのだろうけど、その時に、そのひとを消費してはいなかっただろうか、と、ふと思う。

そのひとの時間を、そのひとの、愛情を、
消費してはいなかっただろうか。

自分がしたことについて、ある程度は冷静な評価ができるまでには、すこし時間がかかるほう。
だからやったことの作用に気づくのに、いつもかならず、時差がある。

わたしが粗末にしたことで、相手の感じたことは、想像の域を超えないから、わたしが想像するのはおこがましい。

それでも、わたしが、粗末にしたという認識は、自分のこころから消えないものだなと、今日も思って過ごしている。

ひとを粗末にしたくない。

それは自分のエゴなのです。
それでも、そうでしか在れない。

曲げられない自己満足は、きっとそれがわたしの輪郭なんだろう。

それを曲げてしまった後悔の跡は、いつまでも乾かない感じがする。

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