おおにしなお
シンプルに生きるには、自分の心の客観視が不可欠。 心にもぐる内省を言葉にします。 感性や感情と、じぶんをケアする心の置き方note
ガールとにしこのオンライン交換日記
「暮らし」とは、「生きる」にひとつ「企み」をくわえること。 シンプルに整えて、心はずませる暮らしをたくらむマガジンです🌿
わたしの日々には、いとしいいとしいいぬがいる。 名前はココア。 14歳のやさしいかしこい、男の子だ。 おうちの中ではげんきいっぱい、お父さんとお母さんと、お姉ちゃん(私)が大好きで、そのくせお外ではスンッといい感じの顔をしたりもする。 家の中が深刻な空気になればおどろくほどそっと存在感を消し、なんとなく話し合いがひと段落したころ、とととっと出て来ておやつをねだり、場の空気をなごませる。 そんなやさしい、うちの “末っ子” だ。 私の日々は、ココアであふれている。 元
週6自炊民、にしこです。 これは、自炊率だけは高い私が、料理アプリ “クラシル” さんに勝手に感謝を捧げるnoteです。 そして感謝と同時に、後半でクラシル便利な使い方をサク推し紹介しているので、もし自炊スタート民 & 献立難民の方で未クラシルの方がいたら、ちょっと寄っていってくださいませ…🍵 ちなみに前半戦はもはやエッセイ! ・・・🕊・・・ クラシルは「愛し方」をひとつ、増やしてくれる「料理は、愛よ。」という台詞、誰しも一度くらいは耳にしたことがあるんじゃないかな
ICL、やってみました。 ICLは、Implantable Contact Lens(移植できるコンタクト)の略称で、角膜を削らないでできる視力矯正です。 この夏、ICL手術をやってきたので、体験談をレポをしようと思います! 第0章 私の結論 & 感想めちゃくちゃよかったです。 現在手術後2週間でこのnoteを書いていますが、現在生活にいいことしかないです。 ▼よかったこと(+) 【視界が良好】 乱視持ちなんですが、乱視がなくなってモノが二重に見えなくなった 【
誰も彼も、平気な顔のひとつ奥には渦巻くものを持っている。 深い悲しみ、消えぬ憤り、許したらアイデンティティが損なわれるとさえ感じる憎しみや、痛みが麻痺しはじめたような諦め。 今にも氾濫しそうな濁流を、薄い顔の皮膚一枚下にひそませ、人は毎日を生きている。 何を抱えていようとも、日常はまわる。 どんなにやりづらかろうとも、時間は過ぎ去り、やってくる。 だからせめて、愛しいものを愛しむ勇気を持とうと思う。 心を開いて求めることは、とても勇気がいるものだ。命ある限り必ず失う
はじめまして。 おうちが大好きな30代フリーランス、にしこです。 とつぜんですが “シンプリスト” という概念をご存じでしょうか? 私がはじめてその概念を知ったのは、その名の書籍『シンプリスト生活』でした。 著者のTommyさんは、YouTubeで『Tokyo Simple Life』というチャンネルを配信されています。 都心の賃貸住宅で2人暮らしをするTommyさんが「小さいけれど豊かな暮らしのヒント」を発信するチャンネルは、登録者数は20万人を超える大人気を誇って
毎年、Be目標(在り方)・Do目標(アクション)・Have目標(獲得する知識やスキル・体力など)に分割して目標を立てている。 4年くらいやって、目標は達成されないものと途中で変化するものがあるけれど、Beは年始立てたものとほぼ変わらないなと確信してきた。 迷いが生じている瞬間を思うと、Beが揺らいでいる時じゃなく、Beに対してDoやHaveがずれている時、無意識が先にそのズレを感知して、その違和感を迷いという形で意識に信号を送っているように思う。 だから、Be目標をこと
心について、 最も治りが遅い傷は、深い裂傷でもなく、複雑な骨折でもなく、自分で自分を曲げた傷のきおくなんじゃないかって思う。 ひとを、粗末にしたことがある。 その時は、気づかなかった。 その時は、余裕がなかった。 きっと許してくれると思った。 そういう、もたれかかるような気持ちがある。 それ自体はきっと悪いことじゃないこともあるのだろうけど、その時に、そのひとを消費してはいなかっただろうか、と、ふと思う。 そのひとの時間を、そのひとの、愛情を、 消費してはいなかっただ
とつぜんですが、コスメについて書いてみようと思います。 友人と、最近「好きのおすそわけ」をぜんぜん書いてないと話したのがきっかけです。 完全に私が書いてて楽しいだけのnoteです。 あ、ちな私のパーソナルカラーは「イエベ×春」です! ※パーソナルカラー :その人の生まれ持った色(髪・瞳・肌)と雰囲気が調和する色(=似合う色)のことだそうです。 全アイテム私のコスメのほぼ全てがこれです。 (この他はマスカラ・まゆペン・アイライナー・グロス) 我ながら結構たくさんの種類を
人間関係に「正解」はない。 けど、「不正解」はあると思っている。 それは、無理をすることだ。 もう少し言うと、 「相手の望まないことを、し続けること」、 「自分の望まないことを、し続けること」。 1度はしかたない、だって知らなかったんだし。 察することなんかできない。 2〜3度目も正直しかたない、人はそんなに物覚えは良くないよ。 でも、何度も何度もしてしまうのは、お互いにとってよくないのだと思う。 そういう意味で、私は「2〜3回失敗する」ってことはぜんぜんいいと思っ
どういう時に、文章と向き合う? 私、書きことばは、 何かが心につかえているとき、悲しくて辛くて生きづらくてことばで紐解かないと感情に溺れ死んでしまいそうになるとき、不安だったりよくわからないのに苦しいとき、そういう、見えない自分の中の ”鬼” みたいなものに光をあてるときによくことばの力を借りるよ。 すごくうれしかったことは、うれしいってダイレクトに感じて五感で味わいつくしているから、ことばだけにきりとらなくてもたっぷり浸れるし、かくとしても手帳にうれしい!って手書きで書
こういう時、何をするのが「よかった」んだろうなと思う話 昨日夜、23:30ごろ電車で酔って寝ている若者がいた。財布とスマホを床に落として電車の座席で寝ている、車内には隣の私と遠くの優先席に男性が一人いたのみ。 財布は誰かに取られるだろうしスマホも無くすかもしれないと思ったら、切なくなってしまった。 この人を育てた親がいて、この人と楽しむ友達がいて、この人に会いたい誰かもいるだろうに、そういうのを全然自覚しないで今を粗末にしてるように見えた。 余計なお世話であり、すべて私
私は、「纏うストーリー」で、 ほんの少しずつ感情を仕組んでいる。 感情を、まろやか・おだやか・爽やか・フレッシュ・あたたか・にこやか、にしてくれるストーリーを、私は少しずつの感情設計の処方箋として持っている。 私の本名は《なお》という。 ハワイ語ではさざなみっていう意味があるらしい、かわいくてうれしい。 ところが実際、私という感受性は、さざなみどころか揺れに揺れて波が大きく、結構航海にも難航する。 だから、私にとって、自分の感情を「事前に設計として”仕込み”」かつ