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自分のためと人のため

現在放送中の朝ドラ『おかえりモネ』が楽しみすぎる毎日を送っている。

主人公のモネは、宮城県気仙沼市の離島育ち。
東日本大震災が起きた日、たまたま高校受験の合格発表で仙台にいたため、家族や友人たちが心に深い傷を負った津波を体験していない。そのことをずっと負い目に感じているような、真面目で不器用な女の子だ。

地元でのいづらさから、高校卒業後は島を離れて県内の森林組合に就職。そこで経験した自然を相手にする仕事と、人々との出会いに導かれるように、気象への興味がふくらんでいく。そして「気象予報で災害から大切な人たちを守りたい」という使命感を胸に上京。気象情報会社で、新人気象予報士としての一歩を踏み出したところ。

震災で何もできなかった自分をいつまでも悔いるモネが、「みんなの役に立ちたいから」と職業を決めたり、理科が苦手なのに気象予報士試験の猛勉強に励んだりする姿を見ながら、「えらいなぁ。若いんだから、もっと自分が好きでやりたいことに突き進めばいいのに」と思っていた。

そういうわたしは、中学3年の通知表の所見欄に、苦手だった担任の先生に「独善的なところがある」と書かれた経験を持つ人間である。


今になってみれば、先生なかなかよく見抜いてたじゃん、と思うが、母がその通知表を見ながら「なんでこんなことを書いてくるのかしら」とムッとしている様子だったのと、「独善的」という言葉をそのときまで知らなくて、辞書を引いたらそれなりにショックを受けたものだから、ちょっとしたキズのようなものとして記憶に刻まれてしまった。

でも実際に、子どものころから一貫して「自分がやりたいことファースト」で生きてきたのはたしかで、学校生活において協調性に欠けるところが、教師の目に余ったのだろう。
そんな性格だと、「自分のやりたいことがわからない」、さらに「自分のことより人の役に立ちたい」とまっすぐに話す、とくに若い人への共感がもうひとつむずかしいというのはあって、でも、大人になるにつれ、共感するしないはともかく、若くして「人の役に立ちたい」と純粋に思える人のことがまぶしいし、心から尊敬する。と同時に、自分の身勝手さを恥ずかしいと感じるようになってくる。

だからモネを見ていると、いつもなんとなく自分が恥ずかしくなっていたのだが、数週間前、ドラマに一つ大きな展開があった。

気象予報士としてモネの先輩にあたる神野さん(今田美桜のハマりぶりがすごい)が、「やっと人の役に立てた」と喜ぶモネの姿を冷ややかに見ながら、「そういうの、なんかちょっと重いよね」と言い放ったのである。モネも、視聴者も、凍りついた瞬間だった。

報道キャスターという夢の実現のステップとして気象予報士をしている神野さんは、悪びれることなく、こう続けた。
「あなたの考え方を否定しているわけじゃないよ。ただわたしは、『誰かに認められたい』とか、『有名になりたい』って願望の方が、シンプルだし、嘘がないって気がするだけ」。

その瞬間、モネの胸にグサリと突き刺さったその言葉と、冷たく流れる血を想像して、神野さんキッツー……と青ざめながらも、実はわたしも同じことを、モネに対してずっと感じていた。

おそらく、震災を経験した当事者とそうでない立場との意識の隔たりもあるだろう。でも、モネの周りの女の子たちは、津波を目の当たりにした妹のみーちゃんも、幼なじみのスーちゃんも、被災経験とは別に「自分はこれがやりたい」という願望が、とてもはっきりしている。
それに対し、モネの願望や野望は、不穏な雨雲に覆われた空みたいにずっとぼんやりしていて、その姿が傍目にはちょっともどかしい。と思っていたら、先週あたりからようやく、厚い雲が少し薄れて、「わたしが心からやりたいこと」という太陽が徐々に顔をのぞかせてきた。あぁ、よかった。

モネを見ていてわかるのは、「やりたいことが見つからないなら、まずは何でもやってみればいい」ということだ。
それでいきなり「やりたいこと」が見つかるとは限らないけれど、「これははっきりと向いていないこと」や「意外とこういう場面では強いタイプ」みたいな発見は、必ずある。あるいは、自分は気づけなくても、誰かが気づいて、その個性を引き出してくれることもある。

モネは、いつもモジモジと話し、ぐずぐずと悩み、見ていてスカッとしない、朝ドラヒロインとしてはけっこう異色なキャラだ(けれど、そのキャラゆえの菅波先生とのじれったい恋の展開は見ていてものすごく楽しい)。

一方で、かなりメンタルが強い人でも凹んでしまいそうな状況では、驚くほどの打たれ強さと粘り強さを見せ、意外にも度胸があるタイプだということも次第にわかってきた。

これから、「人のため」という大義名分だけでなく、「自分がやりたいことのため」という意志がはっきりしてくる展開がますます楽しみだ。
車椅子マラソン選手の鮫島さんが言った「100パーセント自分のために頑張っていることが、巡り巡って、誰かをちょっとだけでも元気づけてるとしたら、それはそれで幸せ」という言葉に、深く感銘を受けている様子だったから。

「『人のため』とか言いながら、結局自分のためじゃない?」という神野さんの指摘は、やっぱり鋭いと思うし、でもそれはけっして悪いことじゃないと、いい大人になっても思うわたしは、やっぱり独善的だろうか。

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