なぜ走るのか。私にとって走ることの意味とは
アコースティックギターが大好き、市民ランナーのナオです。
2020年4月7日、首都圏を中心に緊急事態宣言が出されて以来、人との接触に気を遣いながら毎日1時間くらいのランニングを続けています。
や、ランニングを始めてからこれまでの5年間もコンスタントにランニングを続けてきたのでとくに何かが変わったというわけではないのですけどね。
保育園の頃から、走るのだけは得意。小中高と陸上部に所属し跳躍競技(走高跳、走幅跳)を専門としていました。
長距離は専門外だったので、高校のマラソン大会10kmを、陸上部という理由で顧問の先生から命じられた試走を兼ね 3年間で計6回走ったくらいです。辛かった思い出しかありません。笑
それ以来20年以上ぶりに走ることを再開したのは、知人のススメがあったから。ランニング初心者の私にファーストランシューのアドバイスやランアプリを教えてくれたりとリスタートの環境を整えてもらった(と思っている)ことは大きかったです。そして始めてみたら意外に走れたという。
ランニングシューズについては以下のnoteに少し書きました。
さてさて。じゃあ なぜ走るのか。
これは人によって実にさまざまだろうと思います。
私の場合そのひとつは、ただ単に走るのが好きということです。
「ちょっと何言っているかよくわからない」と思う人もいるかもしれません。笑。小さな子どもかよ、って。笑
だけど本当に走るのが好きだなぁと思うんです。走っている間は本来の自分に戻れるような気がする。リセットの時間。
諸々の背景によって、日々「自分ひとり」の時間がとりにくいからかもしれない。だけどやはりそれだけでもないかな。やっぱりただ好きなんです。頭を空っぽにして走るのが。
クリエイターの方みたいに、走るといいアイデアが降りてくる、ということばかりでもないし。(…あ、たまにはあります。)
二つ目は、季節を感じられるから。
ランスタグラム化しつつあるInstagram。色々撮っていますのでよかったら覗いてみてください。
四季を通じて走りながら季節ごとの風を感じることができます。季節の変わり目の空気を感じられます。季節ごとの草花を見つけては小さくも確かなしあわせ(小確幸)を感じることができます。空模様だって、季節ごとに変わるんですよね。とても心地よく心がすっと落ち着きます。
三つ目は、達成したい目標があるから。
ただ単に走るのが好きなのですが、そこに目標を置くことで自分をアップデートし続けられるのではと考えています。レースでは記録更新を続けています。
どこまでできるかできないのか?自分へのチャレンジですね。年齢を言い訳にしたくない。
なので、日々淡々と走るだけでなく、スピード走やロング走などのポイント練習的なメニューも取り入れるようにしています。それとGarmin(ランウォッチ)を利用して日々のランを管理しています。
ランニングを始めた頃は、大会出場とか、ましてやマラソンを走るようになるなんて思いもしなかったのですが。
って、だんだんストイックな話になってきましたね。笑
マラソンに関することは、またあらためて書きたいと思います。
四つ目は、美容と健康のために。
これは走ることのメリットでしょうか。歳を重ねるということは生きやすくもなるし、いつもポジティブに捉えていますが、やはり何もしないままだと衰えていくのが体力。身体を鍛えることで、気持ち(内面)や物理的な部分には抗いたい。笑
ランニングを始めてから、膝や腹部あたりはわりと早い段階で引き締まったような記憶があります。(当人比)
それと、脚のむくみがとれてすっきりします。これは効果覿面。
そして五つ目。大事なことを書きそびれていました。
信じられる自分を築くため。
人に支えられる人生ですが、最終的に心の拠り所は自分の中にあるのかなと思ったりしています。ブレない軸を持って自分らしく生きる。そのための鍛錬というかなんですが…ここまでくると修行みたいですかね。笑
その他にも、自分が長距離を走るようになってみて、箱根駅伝が大好きな祖父がお正月にひたすら走るだけのテレビ放送を一生懸命観ていることの意味が心底わかるようになったし、人とのコミュニケーションツールにもなり得るし、その世界も世界観も広がりました。
いい趣味だー。
今日は大雨のためランニングはお休み。
こんな風に堂々とランオフできる日は、意外に気がラクだったりもします。笑
あした天気になあれ。